最強の格闘家は誰だ?日本の格闘技の歴史、平成編その2、正道会館の台頭

この時期、大阪の空手団体である正道会館の勢いが強くなって来た時期でもある。

その後、平成の格闘技ブームの頂点とも言える、K-1を作った団体である。

しかし、この時期まだK-1はなく、正道会館は、地方の一空手道場でしかなかった。

正道会館は、極真会館を除くフルコンタクト空手のトーナメントに選手を送り込み、

次々と優勝をさらい、その知名度を上げていった。

また、自分達の流派の大会でも、それまでの顔面パンチを封じたルールを一部顔面を解禁して、

延長戦で決着が付かない場合は、グローブをはめて、キックボクシングルールで戦うという、

ルールを導入して格闘技路線の牽引者になるべく突き進んで行った。

正道会館のエース佐竹雅紹が格闘技界の中心になる

当時の正道会館のエースと言えば、佐竹雅紹である。

彼は、格闘技ブームの後期まで現役を続け、K-1を去ったあとは、

総合格闘技のプライドのリングに立ったのだが、もうピークはとっくに過ぎていて、

大した活躍は出来なかった。

従って、佐竹は弱いと思っている人がいるが、全盛期の佐竹雅紹は、間違いなく、

最強と言っても過言ではない実力を持っていた。

格闘技のセンスとパワーは当時の日本選手の中でもトップクラスであり、

平成の格闘技ブームの大看板前田日明の対抗馬という位置づけにたった。

強くなりながら時代を作っていった

当時単なる顔面パンチを禁じた空手道場だった正道会館、

勿論選手達はそれまで、極真空手の様な、顔面への蹴りはオッケーだが、

パンチはボディのみのルールで戦い、稽古してきた。

それが、格闘技と名前が付く以上顔面パンチは避けて通る事は出来ない。

空手道場がキックボクサーにチェンジして、顔面パンチに対応していったのだ。

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時代を作るきっかけは、いつもニールセン

1990年6月、全日本キックボクシングのリングで、佐竹雅紹はキックルールでデビューする事になる。

その対戦相手は、あの平成の格闘王と呼ばれた前田日明が、その称号を得とくした対戦相手、

ドン・中矢・ニールセンである。

ニールセンは、アメリカのマーシャルアーツ、WKAのクルーザー級のチャンピオンで、

前田日明と異種格闘技戦を行い、前田に敗れていた。

前田との戦いは、異種格闘技戦である為、キックボクシングのルールではない。

勿論、前田との試合は真剣勝負ではないが、本格的なキックの試合という大一番は、

日本では初めてだったのかもしれない。

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頭突きをかまし、パンチでKO

この佐竹雅紹VSドン・中矢・ニールセンの戦いは、1R2分7秒、

左ストレートで、ニールセンをKOした。

この試合は、佐竹がニールセンとの試合中、接近した時に頭突きを食らわせている。

試合後ニールセンは、こんなの試合じゃないとコメントした様だが、

真剣勝負の果し合いにおいて、頭突きを避ける事が出来なかった、

ニールセンがザコという見方を世間は当時していたと思う。

だが、スッキリした勝ち方では無かった為、佐竹の実力を疑問視する声もあったのは事実だ。

その後、ウィリー・ウィリアムスが所属するUSA大山空手と合同で、興行を行い、

純粋な空手の戦いであったが、昭和の格闘技ブームの象徴とも言える、

ウィリーを判定で破り、更に前田日明の主催するリングスと提携し、佐竹、角田という、

選手がリングスのリングでも試合を行い、メジャーな存在となっていった。

そして、1993年12月19日、

第一回目のK-1 GRAND PRIX が開催され、フジテレビとのジョイントにより、

規模が拡大し大ブームとなるのだ。

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