山中のモデル山上光治仁義なき戦い広島死闘篇の伝説の殺人鬼について

私が仁義なき戦いシリーズで一番好きなのだ、第二作目に当たる「仁義なき戦い 広島死闘篇」である。この作品は仁義なき戦いシリーズの主人公菅原文太が演じる広能が脇役にまわり、広島市呉から広島市に舞台を移した仁義なき戦いでも、外伝的作品で、主人公が広能ではなく、広島村岡組の組員山中正治(やまなかしょうじ)なのである。

この仁義なき戦い広島死闘篇が制作されたのは、仁義なき戦いの映画が異例の大ヒットを飛ばし、東映は直ぐに、続編の制作をスタッフに命じた、しかしこの作品には原作があったのだが、原作の連載が追いついていない為に、笠原和夫(かさはらかずお)が当事者に取材をして、脚本を書き上げた。

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山上光治という男

山上光治は大正13年に広島県の現在の北広島町に生まれた、親は堅気(かたぎ)の人である。20歳の時、喧嘩の仲裁をした時、相手の不良と喧嘩になって相手を刺した。この事がきっかけとなり、1年6ヶ月服役している。ヤクザになる前から喧嘩の相手を刺している事から、性格的にヤクザにむいている、戦闘的な人物であると思われる。その後、山上は兵隊に召集された。

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画像:http://goo.gl/exfPlT

岡組と村上組

この頃、岡組と村上組が結成される。岡組は岡敏夫、村上組は村上三次が組長となり看板を上げる。岡組は博徒、村上組はテキ屋である。博徒はその名のとおり博打(ばくち)を生業としていて、テキ屋は縁日などの出店を出す商売人が生業である。

広島に戻った山上光治

山上は兵隊に召集されたが、すぐに終戦となった。日本の敗戦である。当時の雰囲気がどんな感じだったのかは、知る由もないが山上は、終戦記念日から約2ヶ月後広島の街に現れて、ヨウモク(外国のたばこ)を進駐軍から手に入れて、箱から出してバラバラにして売り始めた。進駐軍とは、日本に勝利したアメリカ軍が日本に駐留していたのだが、当時日本に駐留していたアメリカ軍の事である。

村上正明と激突する

広島の街で勝手に商売していた山上光治に対して、村上組組長の次男村上正明はショバ代を要求した。愚連隊を集め愚連隊の頭目となっていた。山上は村上に対して、ショバ代の支払いを拒否した。村上正明は山上を襲撃した。激しい暴力が山上に加えられた。村上正明はピッケルで山上の頭を刺した。

ピッケルとは、山登りで登山家が持っている先がとがった道具である。

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こんな物で頭をおもいっきり叩かれたら、下手したら死んでしまう!村上正明のリンチは壮絶なリンチだったのだ。山上は瀕死の重症を負った。この暴行の現場には岡組の面々も集まってきた。岡組の面々や岡敏夫が止めに入った。

※この村上をモデルにした大友勝利については、こちらの記事で

大友勝利、千葉真一と宍戸錠どっちが良かったのか?名シーン、名ゼリフを再現

山上は岡組に助けられ岡組の預かりとなり、岡組組員となった。瀕死の重症を受けた山上を背負って岡の家まで運んだのは、後の共政会の二代目となる服部武である。仁義なき戦いでは、小林旭が演じた武田明である。

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画像:https://goo.gl/YBRnrk

山上はその後岡組の組員となるが、すぐに事件を起こす、岡の親類らと数名で陸軍の倉庫に隠退蔵物資を盗む為に、忍び込むが警備員に発見され、その警備員を拳銃で撃った。その警備員は数日後死んでしまった。この事件で、山上は自首する。

無期懲役となった山上だったが、45日間に渡り絶食した。フラフラになった山上は刑の執行停止を受けた、岡が引き取った。その後体力が回復して歩ける様になった。

その後、岡組と村上組が抗争となり、村上組の組員4人を殺す。

再び警察に追われる山上は映画館で映画を見ているところを警察に発見され、映画館の向かいにある酒屋に逃げ込む。その酒屋の風呂の釜の中で自分の頭を拳銃でぶち抜いて自決した。自決した風呂釜は己の血が飛び散らない様に、蓋がしめられていた。また自決する前にこの酒屋の住民の迷惑を掛けて申し訳ないと持っていた金を全て渡している。

山上光治伝説

山上光治について、ネットに書かれている情報をまとめてお伝えします。

山上の死体は実家に引き取られましたが、犯罪者のこととて、墓はないそうです。実家の墓に納骨はされたようですが、墓碑に山上の名前はないとか。
なお、梶芽衣子が演じた山上と恋仲になる親分の姪も実在し、後に刑務官と結婚して平穏に暮らしたということです。

山中正治が自決する時と初めて殺人を犯した後の二度口笛を吹く「予科練の歌」は笠原が広島で取材した当時共政会二代目会長だった服部武から聞いたエピソードが元である。

 山上光治の実話は戦後すぐの 数年間であるため、いったん昭和30年まで来てしまった一作目からは時代がさかのぼってしまう。脚本でも冒頭でいったん朝鮮戦争(昭和25年)段階までさ かのぼってはいるがメインのストーリーは一作目の続きになっている。このため山上の実際の活動時期とは10年ばかりずらされてしまうことになった。このた め彼がヒットマンになる動機が希薄と考えたか、笠原和夫は彼が刑務所内でいわゆる「カマを掘られる」体験をしてそれがトラウマとなり…という創作を加えた(実際笠原の取材や美能自身の告白でもヤクザ社会に「そう いう関係」で人脈ができる例が多いと指摘されている)。 しかし脚本を読んだ美能が「山上というのは三白眼のいかつい男で(カマを)狙われるようなタイプじゃない」と忠告したため笠原は未練を残しつつその部分を カットした。なお、映画中で広能と山中が刑務所内で顔を合わせている場面があるが、実際の美能は山上と面識はなく、ただ伝説的ヤクザとしてその存在を知っ ていただけだという。

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