千利休の切腹理由、本名やその生涯とは?その血脈と茶道政治

千利休は茶の湯の大家で、当時の権力者と深くつながっていたが、最終的に豊臣秀吉に切腹を命じられたのですが、何故切腹しなければいけなかったのでしょうか?切腹の理由を書きたいと思います。

また、知っている様で余り知らない事が多い、千利休の生涯を歴史ファンの方に聴いてきたので、それを紹介する。千利休の本名のや祖父の話など興味深い話が聞けました。また、千利休は茶道の人なのに、何故時の権力者に影響を与え、政治にも口出し出来る様になったのでしょうか?そのあたり、茶道政治についても、語ってくれる人がいたので、それも紹介します。

スポンサーリンク

秀吉が利休に切腹を命じた理由 歴史マニアAさん

「一介の茶人である千利休に対して、日本の統一者であった豊富秀吉が何故、切腹を命じなければいけなかったのか。」という命題には、もちろん正解などはな いです。大名までもを弟子に持つに至った利休が増長していき、次第に秀吉をもないがしろにするような態度が見えたとか、「わび茶」を目指した利休と絢爛豪 華好きの秀吉との目指すものの違いだとか、大名たちがこぞって利休のもとに集うのが面白くなかったとか、はたまた娘を秀吉に差し出さなかったからだとか 色々な説があります。

2016y06m23d_204940897

もちろん、ひとつの理由ではなくいくつかの出来事が秀吉の思いがひとつにまとまった結果だと思います。では、そのいくつかの出来事を 起こしたあるいは起こさせた根底にあるものとはいったいなんだったのでしょうか。それは、秀吉の千利休に抱いてしまった恐怖だと思います。秀吉の子飼い大名で、勇猛果敢でしられる福島正則が茶の席で千利休に対面した時の印象を、「自分 は戦でどんな敵と対してもひるむことはなかったが、利休に対したときだけは、どうしようもなく臆してしまった。」

といった趣旨のことを細川忠興に語ったとされる逸話が残っています。諸大名までもが、勿論、秀吉の側近的な役割を一時果たしていた利休に近づくがために茶の湯に親しんだ部分はあるかもしれませんが、利休を慕い最終的に弟子にまでなったのは、勿論、茶の湯の精神にうたれたというのもあるかもしれませんが、利休の人格そのものにうたれたというのが本当のところだと思います。

最初は利休の才能を利用していた秀吉も同じような畏怖や尊敬の感情を抱いてしまった、あるいは抱きそうに感じたのだと思います。 これは、天下人である秀吉にとってはは許されざることであり、そういった感情をもってしまうことは恐怖以外の何物でもなかったことだと思われます。秀吉の 心の中から恐怖心を取り除く方法はただひとつ、すべての恐怖心も源である利休を亡き者にする以外になかったのだと思います。

当時の利休の年齢や状況を考え ても、天下取りといったことに欲を持つはずもなく、利休がそのまま生きていても、天下人秀吉にとっては、何の害もないはず。逆に、亡き者にしても何の実利 もなかったはずです。それなのに、一介の茶人である利休に対して、切腹を命じ、大名たちが奪回に走る可能性までも危惧して屋敷のまわりを兵で囲んでしまっ たといった過剰な反応に繋がったのは、ただひとつ、秀吉の利休に対する、利休の人格に対する敗北感だったような気がします。

スポンサーリンク


千利休の生涯、本名、血脈 歴史ファンZさん

千利休は、侘び茶を大成し、日本文化の重要な礎を築いた偉人として知られています。また、織田信長や豊臣秀吉に仕え、特に秀吉の元では、重要な政治ブレイ ンとしても活躍しました。秀吉の弟である宰相豊臣秀長が、「内々の儀は宗易(利休)、公儀のことは 宰相(秀長)存じ候」と述べた逸話は有名です。

利休の卓越した文化人としての美意識や、ブレインとしての冷静な能力は、どうやって生まれてきたのでしょうか。考察してみました。

2016y06m23d_205011847

千利休は、1522年現在の大阪府堺市で、裕福な魚問屋の長男として生まれました。本名は「田中与四郎」といいます。十代の利休は、堺の大商人としての品 格と教養を学ぶため、南宗寺で禅を学び、「宗易」という号をもらいました。また、武野紹鴎に茶の手ほどきを受けて、「千宗易」と名乗るようになります。千 という姓は、祖父の田中千阿弥にちなんだものです。「利休」の名は、禁中茶会に参内できるようにするため、後に正親町天皇が与えた居士号です。天皇から号 を賜るなど、誉であり、利休の茶人としての名声がわかります。

利休の祖父である田中千阿弥は、室町幕府八代将軍足利義政に、同朋衆として仕えました。義政は銀閣寺で知られる東山文化を築き、現在の日本文化の型を作っ た芸術・文化の巨人です。義政の元で、能、茶道等日本を代表する文化が花開きました。

幽玄、わびさびなど、利休の美意識の根本も、この時代に生まれたので す。義政の側近く仕えた祖父の千阿弥は、教養高い文化人でしたが、義政のサロンでの一流文化人との出会いも、千阿弥に影響を与えた事でしょう。また、利休 に茶を教えた武野紹鴎の師は、義政に仕え、わび茶を創始した村田珠光でした。

利休の文化人としての血脈は、祖父である千阿弥や、義政に繋がるものだったの です。利休が千という姓を用いたのも、千阿弥への深い思いがあったからではないでしょうか。

次に利休の卓越した政治ブレインとしての能力ですが、信長の時代より、茶の湯が大切な政治手段となっていました。「茶道御政道」です。卓越した茶人である 利休は、信長には有益な人物でした。信長に重んじられていた利休は、そのまま秀吉の元でも茶頭として仕えます。閉ざされた空間である茶室は、密談の場でも あります。

その場に居合わせる茶頭は、秘密を守り、信頼できなければいけません。また、交渉相手の心をつかむためにも、茶頭には高い教養や、相手の心を慮 る能力が求められます。これらに加えて利休は、国際自由都市堺の大商人でもあり、町を取り仕切る政治家でもあります。商人や政治家としての大切な素養であ る経営術や算術や情報にも明るかったと思います。この事が利休の政治ブレインとしての高い能力を支えていたと思います。

秀吉に重用された利休ですが、突然秀吉から切腹を言い渡されます。原因は諸説ありますが、利休と秀吉の美意識の差が重要な要因だと思います。利休は「黒茶 碗」を好んだ事でもわかるように、わびさびを愛しましたが、秀吉は「黄金の茶室」でもわかるように、派手好みです。この感性の差が、二人の間の溝となって いきました。日本中を手中に収めた秀吉には、利休の政治ブレインとしての必要性が低下した事も大きいと思います。そんな中で、天下人に逆らってまで、己の 美意識を貫く利休は、秀吉には目障りだったのでしょう。

利休の本質は芸術家です。命乞いをして自分の美意識を曲げるより、潔く死を選びました。この凄まじ いまでの美へのこだわりが、後の世の人々の記憶に深く刻まれる事となったのです。凡人にはない、芸術家としての利休の凄みを感じます。

千利休の茶道政治 歴史好きKさん

千利休は、豊臣秀吉政権における「茶道政治」の中心的人物でした。豊臣秀吉が政権を獲得するきっかけとなったのは、秀吉の主人にあたる織田信長が明智光秀の謀反によって殺され、さらに織田信長の嫡男である織田信忠も同じ 日に、京都二条城にて自殺に追い込まれましたことにあります。これによって織田家の嫡流が弱体化し、当時の羽柴秀吉が織田家の嫡流を乗っ取る形で、同僚に あたる武将の協力も得て、対抗勢力となった信長の三男である織田信孝や同僚であった柴田勝家を滅ぼして、あっというまに近畿地方を平定しました。

2016y06m23d_205738454

しかし、近畿地方を平定した時点では、自分自身の軍事力はまだ圧倒的多数ではなく、あくまでも織田家の同僚武将たちの協力を得るという形式が続いていまし た。このとき、秀吉が政権獲得に向けて利用したものが権威です。ひとつは、天皇家を頂点とした権威であり、もうひとつが茶道でした。

秀吉は、天皇家から高 位の官位を賜り、他の武将に対しても積極的に官位をあっせんすることによって、天皇家を頂点とした国家権力のヒエラルキーの頂点に自分自身を据え置いて、 かつての同僚武将よりも自分自身を上位に置くことに成功しました。もうひとつは、千利休を織田信長から相続した点にあります。

千利休は、信長の茶道の師匠でした。その千利休を秀吉が引き継ぎ、千利休を後陽成天皇の御前に て茶をたてさせて、千利休や茶道そのものを権威づけることに成功しました。そして、傘下の武将たちには、千利休から茶道の指導を受けさせるように仕向け、 千利休から高価な茶碗などを購入するように仕向けました。千利休が値をつけた高価な茶碗を持っていれば、それは有力武将である証拠であり、低い価格の茶碗 しか与えられなければ低い地位の武将という扱いとなったのです。

このようにして、当初は権力基盤を持たなかった豊臣秀吉は、ひとつは官位によるヒエラルキーを築き上げ、もうひとつは茶道におけるヒエラルキーを構築することによって、秀吉自身と他の武将たちとの間に絶対的な君臣関係を築いたのです。

しかし、武将との間に絶対的な君臣関係を築き上げたあとは、茶道ヒエラルキーの頂点にいる千利休の存在が目障りになってきます。千利休は、初期の豊臣政権 下では豊臣秀長とともに政治的実権も握っていましたから、なおさら目障りでした。それでも、秀吉の実弟である豊臣秀長が健在のあいだは千利休の立場は安泰 でしたが、豊臣秀長が病死した半年後、後ろ盾を失った千利休は切腹を命じられたのでした。

おすすめ記事:真田幸村と伊達政宗はどんな関係なのか?戦ったのは道明寺の戦い?

おすすめ記事:日本人が好きな歴史人物は?あなたの好きな歴史人物というテーマでたっぷり語ってもらった

おすすめ記事:丸かぶり寿司の由来、ルーツとは、恵方巻の名前はコンビニが由来?

おすすめ記事:明治維新を簡単にわかりやすく説明、幕府がやられて明治になった


スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする