大西政寛、悪魔のキューピー伝説、映画にも登場する最狂アウトロー

映画「仁義なき戦い」シリーズ第1作、土居組若頭として登場する、梅宮辰夫が演じた若杉寛のモデルは実在する人物、大西政寛である。大西のあだ名は「悪魔のキューピー」だ。大西をモデルにした映画や漫画、書籍はたくさん存在していて、後の時代に登場するステゴロ最強と言われた花形敬と同じように現在でも知っている人の多いアウトローである。

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大西政寛の最後

大西政寛の最後はとても強烈である。大西は警察と銃撃戦を繰り広げ、警官二人を射殺し、自らも心臓を撃ち抜かれて死んだ。

大西が死んだ事件の当時の新聞がネットで掲載されていたので、紹介します。

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警察は大西政寛が、岩城義一宅に潜伏していると情報を掴んでいた。雨の降る夜1月17日。大西が拳銃を携帯しているという事も、対峙すれば躊躇なく撃ってくるという事も知っていたのではないだろうか?警官隊40人がこの家を取り囲んだ。

大西は平素から警官が自分を捕まえに来たら、ためらわず警官を射殺すると公言していた。仁義なき戦いの中で紹介される、美能組長の手記の中にも、警察に追われている事を大西に相談した時大西が警察が捕まえに来たら「問題じゃない、何が悲しゅうて刑務所に行かな行かんのじゃ、問題じゃない、逃げい、逃げい、それでも捕まえに来るんなら、撃ち殺しちゃれ!

」と傲然(ごうぜん)と言い放って、美能組長がびっくりしたと証言している。

また、大西は長距離の移動も電車を使わず歩いていた。これは鉄道で移動している時、警察に出くわしたら射殺しないといけないので、遠い距離でも歩くんじゃと説明している。

この大西最後のシーンは映画「仁義なき戦い」でもしっかりと描かれていたので、まだ見ていない人は見ていただければと思います。映画では大西が学生服を着て、逃亡の準備をする描写がある。この描写はこの映画の原作小説版「仁義なき戦い」にはない。これは、この映画の脚本家である。笠原和夫が関係者に取材した事により分かったエピソードである。

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画像:http://blog-imgs-29.fc2.com/t/i/a/tianbianstar/

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悪魔のキューピー

悪魔のキューピーの異名はキユーピー人形の様に可愛らしい顔をしているのに、悪魔の様に恐ろしいというところから、来ている。大西は当時の広島のヤクザの中でも有名であった。悪魔のキューピーと呼ばれる大西政寛のエピソードを紹介しよう。

教師を文鎮で殴打

尋常小学校高等科一年であった大西政寛は、(当時13歳)金属製の文鎮で教師をボコボコにして退学を言い渡される。これは教室で絵ばかり描いていた大西を(大西は文字が一切書けなかった)教師がお前はペンキ屋になるんか?ペンキ屋でも字は書けななれんぞ、とからかった事から。大西は怒り狂い、金属の文鎮を手に取ると、教師を殴った。大西は学校を辞めさせられた。

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海軍の軍人の耳を切り落とす

大西が十六歳の時、広の食堂でビールを飲んでいた。それを見て腹を立てた海軍の軍人と喧嘩になった。大西は食堂にあった刺身包丁で軍人の腹を刺し、耳を切り落とした。

連続腕切り

23歳で戦争から復員した大西は土岡組というヤクザの組長の舎弟になった。映画では土居組の若頭だったが、正しくは舎弟だったみたいだ。敵対する集団のメンバーである後の小原組の初代小原馨を盆踊りの会場で見つけた、数人で押さえつけ大西は日本刀を抜くと、小原の腕を切り落とした。そして救出に来た小原の舎弟の腕も切り落とした。大西は腕を切り落とすのは小原だけのつもりだった。この舎弟には逃げろと目配せをしたが、この舎弟も自分の兄貴分がやられて逃げるわけには行かない。仕方なく大西は腕を切り落とした。

拘置所での兄弟盃は腕を切って血をすすった

映画仁義なき戦いで、菅原文太演じる主人公と梅宮辰夫演じる兄貴分が、刑務所の中で意気投合して兄弟分になる、しかし盃が無い為、腕をクロスさせお互いの腕を切って、その血をすすったというシーンがあるが、これは実際に大西政寛と美能幸三が行った事である。

腹を切って出所

市会議員だった元ヤクザ桑原秀夫と大西が腕を切り落とした小原馨が喧嘩になりその仲裁に大西は立った、桑原の家の二階で話し合いをしている最中に別の小原方の者が乱入して桑原の腹部を刺した、後に桑原は死亡した。この事件で大西も現場にいた事から逮捕された。拘置所で大西は日本カミソリを手にれ、自分の腹を割いた。20センチは切られていたという。当時は今とは違い、刑務所は受刑者であふれていた。また、病人を治療する施設や設備もなかったため、病人や怪我人は刑が停止され、保釈していた。大西は出所する為に己の腹をかっ捌いた。

悪魔のキューピー大西政寛と並び称される伝説のヤクザについてはこちら、

山中のモデル山上光治仁義なき戦い広島死闘篇の伝説の殺人鬼について

喧嘩を売られ大西と名乗った男を射殺

大西輝吉という青年を含む三人が妻と道を歩いていた大西をからかった。大西輝吉はこの男が、泣く子も黙る「悪魔のキューピー」とは全く知らなかったのだ。大西輝吉は酒に酔っていたという事もあったが、大西政寛に言いがかりをつけ、尚且つ一緒いた奥さんを売春婦呼ばわりした。そして、トドメは名前を聞かれて、「山村組の大西じゃ!」と自分の名前を語られたわけだ。その場は妻に止められて大西は我慢したが、その日のうちに大西輝吉を探し出し、神社で大西輝吉を射殺した。

実際に事件があった高日神社は今でも存在する。

大西は姿を隠したが、数日後、警察に大西の居場所を伝える手紙が警察に投函されたという。この手紙を投函した人物は、当時大西が身を寄せていた山村組の山村辰雄だと言われている。そして冒頭紹介した事件が大西の最後となったのだ。

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