歴代柔道最強ランキング、日本人柔道家最強は誰だ!
柔道最強の選手は誰だ!
日本柔道史上で最も強かった柔道選手は誰だったのか?
やはり、私の年代であれば、
山下泰裕さんが一番に頭に浮かびます。
それ以外なら、
木村政彦
古賀稔彦
井上康生
篠原信一
斉藤仁
鈴木桂治
吉田秀彦
などが浮かびます。
で、今回は特に最も最強に近いのでは?
と私が思う柔道家を紹介したいと思います。
という事で、今日は日本の歴史の中でも、
特に柔道が強かった人は誰なのかについてお伝えします。
今日紹介する選手は、まさしく最強候補にふさわしい、
選手達です。
しかし、活躍した時代は違うので、
誰が最強かを決めるのは、とても困難です。
という事で、
前半では最強柔道家候補を紹介し、
後半では柔道にまつわるランキングを紹介したいと思います。
日本人歴代最強柔道家は誰だ!
日本の古来からの武術である柔術から進化した柔道。
今や世界に広がり、柔道人口は増え続けています。
そんな人気スポーツ柔道の歴史が始まった国日本で、
一番強かった柔道家は誰なのか?
という事で、この人は強いと言われている人を紹介しましょう。
木村政彦(きむらまさひこ)
生年月日:1917年9月10日
身長170㎝
体重84kg
講道館柔道七段
「鬼の木村」
全日本選手権13年連続保持。
天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退した男。
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」という言葉は、
余りにも有名。
恐るべき練習量と、試合に負ければ腹を切ると、
切腹の練習までして試合に臨む集中力で、
当時無敵の強さを誇った柔道家。
投げ技、寝技ともスペシャリストで、
特に大外刈りは強烈で、
練習で失神者が続出する為に禁じ手となり、
寝技の腕緘(うでがらみ)も、
脱臼する人がたくさん出たので、禁じ手となりました。
相撲の雷電為右衛門の様な人。
ブラジルに渡り、
グレイシー柔術の創始者エリオグレイシーと戦い、
腕を骨折させて勝利。
柔道引退後、力道山とのプロレスの試合で、
力道山のブック破りにより、ノックアウトされてしまう。
この試合結果により評価が著しく落ちたが、
間違いなく山下と並んで柔道史上最強候補の1人と言われている。
「史上最強の柔道家」木村政彦18歳の頃 pic.twitter.com/cUmMB4k4du
— 日本史bot近現代史篇 (@nihonrekishibot) 2015年1月12日
岡野功(おかのいさお)
生年月日:1944年1月20日
身長171cm
体重80kg
1964年東京オリンピック中量級金メダル
1965年世界柔道選手権80キロ級金メダル
1967年、69年全日本柔道選手権優勝
全日本史上最軽量の選手でありながらも2度も制している。
後に古賀稔彦が平成の三四郎と呼ばれるが、
三四郎と呼ばれたのは、この人が元祖。
その後80キロ台の古賀稔彦、吉田秀彦が全日本選手権で、
決勝まで進んだが、いずれも小川直也、金野潤に敗れ、
優勝する事はできなかった。
引退後もたくさんの優秀な選手を育てあげ、
指導者としても評価されている。
ミュンヘン五輪無差別級金メダルのウィレム・ルスカや、
東京オリンピック無差別級金メダルのアントン・ヘーシンクも、
岡野の道場で練習している。
これは正気塾にヘーシンクが訪ねてきたときの焼き肉パーティ。技の議論となって立ち上がったヘーシンクと二宮和弘先生。それを左で怖い顔で見ているのが若き日の岡野功先生。
この頃の柔道界を描きます。 pic.twitter.com/uF8mu9W542— 増田俊也 (@MasudaToshinari) 2016年5月15日
山下泰裕(やましたやすひろ)
生年月日:1957年6月1日 (61歳)
身長180cm 体重128kg
1984年ロサンゼルスオリンピック金メダル
全日本柔道選手権9連覇
4度の世界選手権優勝。
外国人選手との対戦成績生涯無敗。
公式戦203連勝、国民栄誉賞受賞。
まさに生ける伝説と言っても過言ではない成績です。
オリンピックの金メダルは一度のみだが、
実は1980年のモスクワオリンピックも、
金メダルを確実視されていたが、
日本がオリンピックをボイコットした為に、
出場する事ができなかった。
子供の頃から「天才」とか、
「木村政彦の生まれ変わり」などとマスコミから言われていた。
最強柔道家の最右翼。
試合の勝率は9割7分2厘
山下泰裕、誰もが絶対知ってる柔道家、ロサンゼルスオリンピック優勝、世界選手権三連覇、全日本選手権九連覇、国民栄誉賞、全日本男子ヘッドコーチをしていて、井上康生、野村忠宏らを指導、地上最強の柔道家だったと思います。 pic.twitter.com/M6VgMvHiec
— Judoくん (@Judozzz) 2016年9月26日
斉藤仁(さいとうひとし)
生年月日:1961年1月2日
身長180 cm
体重143 kg
1984年ロサンゼルスオリンピック金メダル
1988年ソウルオリンピック金メダル
1983年世界選手権金メダル
1988年全日本柔道選手権優勝
山下泰裕と戦い一度も勝つことが出来なかった為、
山下の影に隠れる存在であったが、
最後に戦った山下との試合は、判定で山下が勝利したが、
斎藤が勝っていたと、疑惑の判定と見る人もいる。
また、山下泰裕自身も「斎藤は私を超えた」と語っている事から、
斎藤も天才柔道家である事は間違いがない。
ロサンゼルスでは圧倒的な強さで金メダル、
しかし、続くソウルでは、
右膝を故障した状態で試合に臨んだ。
斎藤が登場するまで、
日本の金メダルは0の状態で、
大きなプレッシャーがかかったが、
見事プレッシャーに打ち勝ち、
金メダルを勝ち取った。
指導者としても多くの選手を育て、
鈴木桂治、石井慧などを金メダルに導いた。
両選手からは「鬼」と呼ばれる。
「100%稽古できないやつは、試合に出る資格はない」斉藤仁(元柔道選手/1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪柔道男子95kg超級金メダル) pic.twitter.com/SgFOsPTmD7
— スポーツ名言あれこれ (@athletes_quote) 2014年8月30日
小川直也(おがわなおや)
生年月日:1968年3月31日
身長191 cm
体重115 kg
1992年バルセロナオリンピック銀メダル
世界選手権4度優勝
全日本柔道選手権7度の優勝(内5連覇)
オリンピックの金メダルが無いので、
最強のイメージは余り無いが、
公式戦の成績は山下泰裕に次ぐ成績を納めている。
また、この次に登場する篠原信一にも、
2勝1敗と勝ち越している。
柔道を引退してからはプロレスラー、
格闘家としても活躍する。
一流の格闘家と対戦しても、
一歩も引かない試合を見せた。
古賀稔彦との伝説の試合
篠原信一(しのはらしんいち)
生年月日:1973年1月23日
身長190cm
体重135kg
2000年シドニーオリンピック銀メダル
2度の世界選手権優勝
3度の全日本選手権優勝
シドニー五輪の決勝戦、
フランスのダビド・ドゥイエとの一戦は、
世紀の大誤審と言われ余りにも有名。
またアジア選手権では右膝を負傷しながらも優勝。
出典:goo.gl/UysaS5
決勝戦を前にして、膝を痛めた篠原。
会場から斉藤仁におんぶされて退場するが、
斎藤は控え室に戻ると「あー、重い、早く降りろ」と、
カメラがいなくなっったら篠原を振り落とした(笑)
決勝は棄権するという篠原に、「アホな事言うな」
と痛み止めを打って強行出場させた。
結果、篠原は見事優勝した。
石井慧(いしいさとし)
生年月日:1986年12月19日 (31歳)
身長181cm
体重110kg
2008年北京オリンピック金メダル
1965年世界選手権優勝
2度の全日本選手権優勝
全日本選手権では、
山下泰裕の最年少記録19歳10か月を抜き、
19歳4か月で優勝した。
練習の虫で知られる。
オーバーワークとも言える練習量をこなす為に、
周りが練習を止めていた。
本人は泣いて練習させてくれと言う程だった。
ウェイトトレーニングも例外ではなく量をこなし、
ベンチプレスは200キロを挙げるまでになった。
石井自身はその練習量に対して、
「オーバーワークは一流選手が使う言葉、
自分はそこまで達してない、
量が質を凌駕する事もある」と語った。
出典:goo.gl/k6ihqE
「柔道はルールの有る喧嘩だ」と徹底的に勝にこだわった。
得意技は大内刈りで、全日本選手権の決勝で、
鈴木桂治を2度破ったのも大内刈り。
全日本柔道選手権ランキング
出典:goo.gl/BHrcf5
全日本選手権は毎年行われる無差別で、
柔道日本一を決める大会です。
※今回一番最初に紹介した木村政彦は、この大会が始まる前の、
日本柔道選士権大会に出場していたので、
こちらには名前が出ていません。
優勝回数
1位 山下泰裕 9回
2位 小川直也 7回
3位 鈴木桂治 4回
連続優勝
1位 山下泰裕 9連覇
2位 小川直也 5連覇
3位 井上康生 3連覇
3位 篠原信一 3連覇
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