最強の格闘家は誰だ?日本の格闘技の歴史、平成編その3、微妙な修斗とシュートボクシング

2019年11月21日

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平成に入り、格闘技界が徐々に盛り上がってきた。

そんな中で、元初代タイガーマスクが立ち上げた総合格闘技のシューティング(修斗)。

そして、大阪の喧嘩最強とも言われた、元キックボクサーのシーザー武志が立ち上げたシュートボクシング。

この2つの格闘技の流れも語らねばなるまい。

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ご存知、初代タイガーマスクは、プロレス界最大のスーパースターであった。

そんなタイガーマスクがマスクを脱ぎ、佐山聡としてプロレスを引退して、シューティングなる、

格闘技を立ち上げた。

 

現在は修斗であるが、私達の時代はシューティングであった。

 

打撃、組み技、関節技が全てオッケーの総合格闘技。

当然全てオッケーなのだから、この総合格闘技を極めた選手は最強に違いない!

総合格闘技最強論に幻想を抱いて夢中になっていた人も当時いたのではないでしょうか?

 

平成の格闘王と呼ばれた前田日明がプロの格闘家なのであれば、

佐山聡はアマチュアを育てる指導者としての道を選び、格闘技界に独自の影響を与えた。

 

そしてもう一人、シュートボクシングを立ち上げた、シーザー武志。

佐山聡と知り合った事から、日本のレスラーに多大なる影響を与えた、

カールゴッチと縁を持ち、

その縁から、前田日明達に本格的なキックを指導したのが、シーザー武志なのだ。

 

そして、シーザー武志自身も、そんな前田日明達の格闘技の影響を受けで、

シュートボクシングが誕生した。

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シュートボクシングという格闘技

このシュートボクシングは、通常のキックボクシングに加えて、投げや立った状態での、

絞め技、関節技も認められた、当時としては、かなり新しい格闘技なのである。

 

しかし、このシューティング、シュートボクシングは時代の中心としてブレークする事は無かった。

私は当時この2つの流れを見て、「ああ、こんな格闘技もあるんだなぁ」位の認識しかなかった。

おそらく、新し過ぎたのではないでしょうか?

 

後に、佐藤ルミナや、宇野薫などが出て来て、格闘家カッコイイというブレークの仕方を2000年位にするのだが、

それは、まだまだ後の話でシューティング(修斗)の運営から、佐山聡が去ってからの話である。

シュートボクシングは、兎に角地味で当然テレビでも放映していないので、月に一回発売される、

格闘技通信や、ゴング格闘技で試合の様子を見る位であった。

 

また初期のシューティング(修斗)は、8角形のリングで試合をしたりしていたと思う。

また、古代ギリシャの格闘技、パンクラチオンを引き合いに出される事も多かった。

パンクラチオンって、よくこんなマイナーは格闘技の話を見つけてくるな~と当時は思う事なく、

ふむふむ、なる程と思って見ていたが、この時代格闘技界の中心にいたのは、

間違いなく正道会館だった。

 

日本の格闘技はこの時代

 

正道会館

 

前田日明

 

極真会館

 

シューティング(修斗)

 

シュートボクシング

 

大道塾

 

骨法

 

こんな感じで注目されていた。

骨法は一般の人は殆ど知らない存在だったが、何故か毎月格闘技雑誌に載っていた。

ライガーと船木が骨法の掌底を学んで強くなった!

なんて話を聞いて、その存在を知ってはいたが目立った選手もおらず、

その存在は認知していたという感じだった。

 

極真会館も大山総裁が健在で世界大会で、現在の松井館長と、

アンディ・フグが決勝で激突して、空手最強は極真だという認識だった。

 

なんだかよく分からないが、様々な流派が出て来て、次は何が起こるのかという、

とてもワクワクして平和な時代であった。

 

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