ナイナイとダウンタウン。確執、比較、不仲、悪口

2019年11月21日

ナイナイ、ダウンタウン、確執、比較、不仲、悪口

我々の世代はお笑いと言えば、ダウンタウンです。

ダウンタウンの後に出て来たお笑い芸人の殆どがダウンタウンの影響を受けていて、

単なるダウンタウンのモノマネ芸人がなんと多かった事か。

 

今日はダウンタウンと、ダウンタウン出現後、

吉本で最も成功したお笑いコンビ、

ナイナイについて書いていこうと思います。

 

ダウンタウンは吉本の養成所第1期生、ナイナイは9期生です。

 

岡村隆史は昭和45年生まれ、矢部浩之は46年生まれだから、

ダウンタウンが売り出し中の時、テレビでその活躍を見ていたはずだから、

ある程度はダウンタウンを意識して、吉本に入ったのではないでしょうか?

 

 

因みにダウンタウンの二人は、昭和38年生まれなので、

ナイナイとは8年の年齢差がある。

 

ダウンタウンが大阪で、初のレギュラー番組「4時ですよ~だ」を始めた時、

岡村隆史は17歳です。高校生ですね。

 

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松本人志が変えた、ボケの形

松本人志を一番最初に認識したのは、大阪のローカル番組の漫才の番組です。

ダウンタウンの漫才を初めて見た時、なに!この人!

と松本を見てビックリした。

 

松本の余りにもやる気のなさそうな雰囲気(笑)

こんな雰囲気のお笑いは今まで無かったし、画期的だと思った。

 

ミハーを相手にしないのが、お笑いで成功する方法

ダウンタウンもアイドル的な人気がありました。

当時の大阪のダウンタウンの本拠地、2丁目劇場には、学校帰りの女子高生が溢れ、

ダウンタウンはアイドル的な人気があり、CDも出していました。

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なんやねんこれ!

って感じですけど、こんなCDが発売されていました。

 

売れたかどうかは知らない。

が、ダウンタウンの人気は単に面白いだけではなく、

女性ファンがたくさんいた。

 

お笑い芸人がアイドル的人気が出る事はダウンタウンに限らず、結構ある様だ。

 

しかし、アイドル的な人気が出た芸人で、

そのままアイドル路線でやっていって現在も生き残っている芸人なんていないのではないだろうか?

勘違いしてしまうかもしれない。

 

人を笑わせてナンボの芸人がアイドルと勘違いして、

笑いを忘れてしまう。

 

アイドル的な人気など長くは続かない。

 

しょせん人々の関心など一時のものです。

 

その例をご覧いただこう。

 

大阪で、アイドル的な売り出しの仕方をされたのが、

この人達だ。

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キングコングの梶原のこのカエルみたいなポーズはなんなんでしょうか(笑)

あほか(笑)と、ツッコミを入れたくなるますね。

 

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画像引用:http://qq1q.biz/ozlH

ある意味、一周回ってこれは面白いのだが、

キングコングの二人が、やたら決めているのが笑えます。

 

やっぱり、キングコングは面白いです。

この真ん中の、ランディーズの高井も、たいがいですけどね(笑)

 

 

ダウンタウンが登場する前に漫才ブームというものがあった。

漫才ブームとは、1980年から1982年

B&B

ザ・ぼんち

ツービート

やすし・きよし

紳助・竜介

太平サブロー・シロー

今いくよ・くるよ

西川のりお・上方よしお

春やすこ・けいこ

 

などが、活躍していました。

 

紳助・竜介はツッパリ漫才と言われ、不良ネタを得意としたが、

コンビ解散を決意したのは、ダウンタウンの漫才を見た時に限界を感じ

紳助が解散を決意したと後に語っています。

 

ザ・ぼんちは、アイドル的な人気があり、「恋のぼんちシート」という、

シングルを発表し、80万枚売り上げた。

 

サブロー・シローは、ダウンタウンの才能をいち早く見抜き、

自分達のラジオ番組の後釜に当時無名のダウンタウンを指名したし、

やすし・きよしの漫才は今見ても、面白い。

 

色んなキャラクターがいて、面白かったのです。

 

そんなお笑いブーム、漫才ブームが終了し、お笑い業界は閑古鳥が鳴いていた。

そこに現れたのがダウンタウンだったのです。

NSC9期生として、ナイナイが現れる

吉本印天然素材

1991年にお笑いとダンスをミックスしたユニット、

吉本印天然素材がスタートしました。

 

この天然素材に参加したのは、ナイナイ、雨上がり、フジワラ、バッファロー吾郎など。

 

このユニットもお笑い芸人をアイドル化して、利益を出そうとして作られた、

ユニットです。

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画像引用:http://qq1q.biz/ozlI

 

みんな不細工ですね(笑)

 

この顔でアイドルとかキツイですね。

 

おそらくやっていた人達もなんでやねん!

と思っていたのかもしれません。

 

しかし、この天然素材に参加していた、

芸人達は殆ど生き残っています。

 

ナイナイをはじめ、雨上がり、宮川大輔などです。

 

しかし、ナイナイは自力で売れていったが、雨上がりや、宮迫博之などは、

ダウンタウンと絡む事により売れていった。

 

ここでもダウンタウンの影響力が関連ます。

 

ナイナイがブレイクしたのは、ビートたけしの、

「お笑いウルトラクイズ」ではないだろうか?

 

出川哲郎と、ムチでシバキ合いをして、

そこからナイナイが、色々な番組に、

出始めた印象があります。

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この放送から、以後ナイナイは色々なバラエティー番組に出演する様になります。

 

岡村のサルみたいな風貌が面白いとい所から、入っていって、

ある程度人気が出て来て、冠番組を持つようになって、

地味だった矢部までが、フューチャーされる様になりました。

 

ナイナイの矢部なんて、手を叩いて笑っているだけの芸しかないし、

色々面白い事を言ったり、やったりする岡村を、突っ込む位しか、

やってないのだが、矢部も面白い~みたいな風潮になってきたのです。

 

これは、素直に凄いと言ってもいいと思います。

 

また、ナイナイの素晴らしい所は、

ナイナイの番組は爆笑は時々だが、安定して見ていられるのです。

 

また、その時々で人気のあるアイドルなどと上手く絡んで、

見られる娯楽番組を作っていて視聴率も安定していました。

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画像引用:http://cdn2.natalie.mu/

media/owarai/2012-08/extra/

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松本人志の「遺書」が原因で共演NGに?

松本人志が最も影響力がある時に出した本に、「遺書」があります。

この「遺書」の中で松本人志は、ナイナイの事を、ダウンタウンのパクリ、

チンカスであると書いていました。

 

当時おそらく、松本人志は本当にナイナイの事が嫌いだったんだろうなと思います。

 

松本人志から見たナイナイは、ダウンタウンのモノマネであり、

取るに足らないザコに見えたのかも、しれませんね。

 

松本人志には、ナイナイ以外にも、森脇健児、中山秀を攻撃したりしていた、

松本人志は当時のお笑いの世界を振り返って、真剣を帯びて真剣勝負していた、

今は真剣など持っていない、馴れ合いの世界の様な発言をしている。

 

森脇健児も、大阪時代にダウンタウンに挑んで斬りかかっていき、

中山秀征も、ダウンタウンを潰そうとした(どういう行動を具体的にして、潰そうとしたかは、謎だが)らしいから、斬りかかって来られたから、

反対に切り捨てたのかもしれない。

 

しかし、ナイナイは、松本に拒絶されたが、ただのザコでは無かった様です。

その後全くダウンタウンと絡む事なく、自分達の地位を築き上げた。

 

(マトメ)

最近ダウンタウンって、本当に勢いが無くなったな~って思ってしまう。

好き勝手やっていた印象がある浜田雅功も、不倫報道以来、発言力が落ちたと思うし、

パチンコ台にも登場したりする。

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パチンコ台になるって、最後に売れるものは売っておこうという事で、

版権を売るような印象があります。

 

人気が落ちてからの最後の商売。

2ちゃんねるで言うところの、オワコン(終わったコンテンツ)が出るものじゃないのか?

なんて思ってしまう物に出たりして、ちょっと寂しいです。

 

なんて、思っていた時期もありましたが、また復活して、テレビで活躍しています。

 

テレビもそうですが、アマゾンプライムなどで、

松本人志がやっているドキュメンタルなんかも面白いです。

やっぱりダウンタウンはお笑いでも別格ですね。

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