竹下佳江(テン)の実力は伝説、最も小さなバレー選手は身長159センチ

2019年11月21日

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竹下佳江は天才?凄さを語る

竹下佳江をご存知でしょうか?

元バレーボール選手で伝説的な人物です。

何が凄いか?

この人は高い身長の選手ばかりのバレーボールの業界の中で、

僅か159センチの身長でありながら、伝説的な活躍をした、選手だった人である。

 

アダ名、ニックネームは「テン」後輩からもテンさんと呼ばれている。

テンのニックネームには諸説あって、竹下佳江が上げるトスが「天下一品」なのでテン。

または、「天高く、正確なトスを上げる」からテン。

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高校時代の先輩が付けたアダ名なのだそうだ。

なんだか小柄な竹下佳江にぴったりでカワイイニックネームですね。

実は大変失礼な話なのですが、私はバレーボールに全く興味がなく、

つい最近まで、竹下佳江さんの存在を知らなかったのですが、

とにかくこの人が凄いとバレーボールが好きな人に、その凄さを教えてもらったので、

エピソードなどをこのブログで紹介しようと思ったのだ。

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地獄を味わったバレー選手

戦犯扱いのバッシング

竹下佳江の素晴らしいところ、それは、バレーボールのポジションであるセッターの平均身長が177センチであるのに対して、竹下佳江さんは僅か159センチ。

そんな小柄な体格でも、そのハンデを打ち消す位の実力があるのが、

竹下佳江なのだ。まさに小さな巨人と言って差し支えがない選手だったのだ。

 

しかし、この竹下佳江はいわれのないバッシングを受け、

バレーボールの世界から去る事になる。

それは2000年のシドニーオリンピックにさかのぼる。

 

竹下佳江はシドニーオリンピックの正セッターに抜擢されたのだが、

この時オリンピックの予選で破れて、日本バレー界で初のオリンピックの出場を逃してしまう。

今まで当たり前の様にオリンピックに出場出来ていたのに、急にオリンピックに出場できない。この原因は竹下の身長が小さい事が原因だ!

と世間は竹下をバッシングした。

小さな身体でひたむきに頑張ってきた人に対して戦犯扱いである。



ふざけんじゃねぇ!

私が竹下佳江さんの立場であれば、怒り狂い、その扱いに憤り、

まさに戦いの神である阿修羅となって、批判した者達に戦いを挑むだろう。

竹下佳江さんは、バレーボールの世界を一旦離れる決意をする。

 

竹下佳江さんは普通の仕事に就こうと思いハローワークにも行ったのだそうだ。

真面目な人だ。

もし私が同じ立場だったとしたら、眉毛を剃ってヤンキーになっていただろう。

 

しかし、それが一般の人間と竹下佳江の違うところである。

そして見ている人は見ている。

 

当時のJTの監督の一柳監督から、力を貸して欲しい、

と言われそのままバレーの世界に復帰して、活躍してそのまま2004年のアテネオリンピックに出場して、日本は5位入賞を果たす。

批判していた、烏合の集はお約束の様に掌を返し竹下を湛えた。

竹下佳江の旦那さんは誰?

今回調べて見て驚いたのだが、旦那さんは元阪神タイガースの江草選手である。

江草選手は二回目の結婚で会ったが、竹下佳江と結婚、2015年には第一子を出産している。

では、最後にこの竹下佳江の凄さを私に教えてくれた方に最後に竹下佳江の事を語っていただきましょう。

世界最小・最強セッター、竹下佳江

シドニーで五輪を逃してから12年。ロンドン五輪で見事に銅メダルを獲得した女子バレー。
その立役者といえば、セッターの竹下佳江選手でしょう。

159cmというバレーとしては致命的な欠点を持ちながらも、

その卓越したトス技術とレシーブ力で日本女子バレーを見事に復活させました。

 

そんな竹下選手が、シドニー五輪を逃した「戦犯」扱いされていたのは有名な話です。

「159cmしかないセッターを使うから五輪を逃したんだ」とバッシングされ、

竹下選手は一度は引退をするほどに追い詰められてしまいます。

 

バレーはコートにいる6人でするスポーツです。

当然、責任は選手全員と監督にあります。

それなのに、身長が159cmしかないというそれだけの理由で竹下選手はシドニー五輪を逃した責任を押し付けられてしまうのです。

 

しかし竹下選手はそんな屈辱にも耐え、見事に復活を果たします。

アテネ五輪の切符を自らもぎ取り、北京五輪ではキャプテンとして全日本をけん引しました。

バレーは「ベテランセッターが若手アタッカーを育て、ベテランアタッカーが若いセッターを育てる」と言われています。

 

木村沙織選手、「メグカナ」こと栗原恵選手と大山加奈選手、荒木絵里香選手など、

竹下選手が育てたアタッカーは本当に多いです。

 

女子バレーのどん底も復活も経験した竹下選手。

竹下選手は同じく伝説のセッターである中田久美さんに「バレーの試合は勝てばみんなアタッカーのおかげ、負ければみんなセッターのせいだからね」と言われた事が忘れられなかったそうです。

その言葉通り日本を代表するアタッカーを育て続け、

ロンドン五輪では見事に女子バレー復活を印象付ける銅メダルを獲得した竹下選手。

 

この時、竹下選手が言った「シドニーを経験した選手は私しかいないんだな」という言葉はとても重く、シドニー五輪が日本女子バレー史に落とした深い爪痕を感じられました。

引退会見で「私、本当によく頑張ったと思います」と語った竹下選手。

 

五輪を逃した戦犯から、世界を代表するセッターになり、

そしてメダルを取り戻した。

こんな波乱万丈な選手生活を送った竹下選手だからこそ言えた言葉だなと感じました。

159cmという身長で世界相手に戦った。

こんな選手、後にも先にも竹下選手だけだと思います。

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