木村政彦の強さを語ろう、身長は低いがトレーニングが狂気!

2019年11月21日

力道山とも戦った木村政彦の強さ

鬼の柔道、

木村の前に木村無く、木村の後に木村無し。

木村政彦とは、日本柔道界最強と言われている伝説の人物である。

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私が木村政彦の存在を知ったのは、

「フルコンタクトKARATE」という格闘技雑誌で、

合気道の達人の塩田剛三さんと、木村政彦さんの対談が掲載されその存在を知った。

 

塩田剛三さんと木村政彦は拓殖大学の先輩と後輩、塩田さんが先輩です。

※合気道の達人塩田剛三についてはこちらから、

 

塩田剛三の強さは本物?やらせと素人に思われる位い凄まじい強さ

 

この人ガチで強い人です。

 

おそらく日本の柔道史上最強の人物ではないでしょうか。

 

木村政彦のエピソードを知ると、

この人が最強なんじゃないの?と思ってしまいます。

 

15年無敗、全日本13年連続保持など、凄まじい人です。

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最強の柔道家木村政彦とは

木村政彦の身長

木村政彦の身長は意外と低い、身長は170cmです。

しかし、身長は低いがその身体の筋肉は凄まじい。

 

近代柔道家で最強と言われている山下泰裕(やましたやすひろ)は身長180㎝、

体重128キロであるが、

いくら山下といえども木村には勝てないと言う人もいます。



木村政彦のトレーニング

木村政彦と言えば、

狂気じみたトレーニングです?

木村が掲げていたのが、「3倍努力」。

 

現在の科学的なスポーツのトレーニング理論で言えば、

明らかにオーバーワーク。

 

木村政彦の練習量は一日10時間を越え、

1年間365日続けるのである。

その練習の内容をお伝えしよう。

木村政彦の努力

木村政彦は、拓大予科の頃、警視庁の猛者に投げられ、脳震盪を起こし、

武専の東京最強と言われた男にも負けた。

一旦は柔道を諦めて、故郷に帰ろうかと思った木村だったが、

一念発起する。

 

朝6時に起きると、

まず、巻藁(まきわら)に突き、手刀、肘打ちを、

左右30分ずつ行う。

目的は、指や手首、肘などを強くする為。

 

所属する拓大は当然として、警視庁や皇宮警察、講道館を回りスパーリングを行う。

その後、うさぎ跳び1キロ、腕立て伏せ1000回、大木への打ち込み1000回。

鉄アレイでのウエイトトレーニングを1時間。

 

そして、自分の技を磨く為に、稽古の創意工夫をする。

まさに、戦う為だけに、人生を費やしているという感じです。

 

強くなった木村は、講道館に行き、

自分の技を試した。

特に得意だった技が大外刈りです。

講道館では、木村が来ると、毎日五、六人は大外刈りを食らって、

脳震盪を起こした。

 

猛稽古を始めて1年経過すると、

以前負けた警視庁の猛者や武専の選手にも負ける事は無かった。

 

柔道でこれだけ修行をしているのだから、

他の格闘技をやっても、当然強いはずだ。

 

木村政彦は空手、剛柔流空手の道場にも通って、

師範代をつとめる程の腕前だったのだ。

 

木村は単なる柔道家ではなく、

格闘家と呼ぶにふさわしい男だったのだ。

何故オリンピックに出てないの?

柔道がオリンピックの正式種目になったのが、1964年の東京オリンピックから。

木村が全日本13年連続保持などの記録を打ち立てたのは1937年〜1949年。

 

その後プロ柔道の旗揚げに参加し、プロレスに転向して、

再び拓大の柔道部の監督に就任したのが、

1961年という事で木村はオリンピックあ始まる前に指導者になっていた。

 

オリンピックの舞台に木村が立っていたらどうなっていた事だろう。

アントニオ猪木と木村政彦の関係

アントニオ猪木がプロレスに入門した時、

アントニオ猪木に寝技を教えたのが大坪清隆。

大坪は柔道選手で木村の後輩。

 

木村政彦が立ち上げた国際プロレス団に所属していた。

木村政彦が力道山に敗れてから、決別し日本プロレスへ移籍し、

カールゴッチの道場のサブコーチを務めた。

 

正義感の強い人で、溺れた少女を助けた時に心臓麻痺になりこの世を去った。

大山倍達の兄貴分

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極真空手の創始者大山倍達も、木村政彦の強さは認めていて、

木村の事を兄貴と言って、慕ったそうである。

 

昨今の格闘技ブームから、すっかり空手の強さは地に落ちた、

特に極真空手はK-1やプライドといった格闘技に参加するが、

大した実績をあげていない事から、

大した事ないという風潮があるが、

大山倍達においては、おそらく戦後、

相当なやんちゃをやってきた人物と思われる。

 

ヤクザの用心棒だった時期があったり、

大山と言えば、山籠りのエピソードがあるが、

戦後米兵を叩きのめして、指名手配され、

身を隠す為に山に籠もったというのが、真相とされている。

 

それ以外にも、大山は、空手の生徒を集める為に、

太気拳の澤井健一と一緒に、

東京中の武道の道場を道場破りして回ったりもしていた。

 

まず、彼の作った空手団体の顧問は、

「殺しの柳川」と呼ばれ、全国の怖い人達から恐れられた、

柳川次郎組長だった。

 

また、このブログにも登場する、

喧嘩最強と言われる元安藤組、森田雅さんも大山から握手を求められたが、

殺気を感じこれを拒んだという言い伝えが残っている。

 

そのため実戦ではかなり強い人物と思われます。

喧嘩名人森田雅についてはこちら、

安藤組森田雅の強さは伝説、喧嘩無敗の男、力道山を引かせたのは森田

 

グレーシー柔術をボコボコにする

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何でもありの格闘技、アルティメットが登場し、

グレーシー柔術が脚光を浴びる。

 

グレーシー柔術は次々と格闘家を破っていき、

格闘技界の頂点に躍り出たのだ。

 

しかし、この最強と言われたグレーシー柔術は、

ある日本人の柔道家により、もう既にボコボコにされていたのだ。

しかも圧倒的な強さによって。

 

木村政彦はグレーシー柔術のドン、エリオ・グレーシーと戦い、

圧倒的な実力差で勝っている。

 

試合中の木村はエリオのケガを心配して、

力を緩めているのだ。

赤子の手をひねる様に勝利をおさめた。

科学が発達したこの2015年に全盛期の木村政彦が降臨したら?

漫画ではないが、

もしこの木村政彦が現代に蘇ったらどんな活躍をするのだろうか?

 

木村の大外刈りは凄まじい破壊力を持ち、

対戦相手を次々と破り、その技の切れから、

禁じ手として禁止されたという。

 

木村と対戦すると次々と皆脳震とうになったという。

力道山との試合でなぜ負けた?

木村政彦は警視庁の柔道師範に内定していましたが、

プロ柔道の旗揚げに参加します。

 

そのプロ柔道が崩壊すると、プロレスラーになります。

その後、ブラジルに渡りグレイシーに勝つのですが、

帰国した木村は、力道山とタッグを組み、プロレスの世界で活躍します。

出典:goo.gl/8GQJMJ

 

木村はプロレスの試合で、力道山の引き立て役を演じていました。

負ける時は毎回木村がフォール負けする。

 

そんな扱いに不満を募らせた、木村は真剣勝負であれば、

力道山に負けないと発言します。

 

この発言に激怒した力道山とリングで戦う事になります。

昭和の巌流島と名付けられた戦いに国民は熱狂しました。

 

しかし、この試合木村は力道山の攻撃を受け、壮絶なKO負けを喫します。

木村はプロレスと力道山を舐めていました。

 

この試合は真剣勝負の格闘技では無かったのです。

筋書きのあるプロレス。

 

その為、試合の前日木村は大酒を飲んでいたと言います。

 

また、この試合で力道山は木村の攻撃を受けそれに激怒して、

突然シュートを仕掛けてきたのですが、

力道山は、そんな事は平気でやってのける男だったのです。

 

現に相撲上がりのプロレスの後輩に、

試合する相手をリングで殺せと言い含め、

実際に障害が残る程の怪我をする様に仕組んだ事もあったのです。

 

また、いくら強い木村といえども、全盛期は過ぎている。

当時力道山30歳、木村37歳です。

 

体も一回り力道山が大きいです。

力道山は思った程簡単な相手ではないという事です。

力道山との事については、こちらに詳しく書いています。

力道山伝説、対木村政彦の真相や刺殺事件、仰天エピソード集

木村が猪瀬直樹に語った力道山への枯れない殺意

作家時代の猪瀬直樹が木村の元を訪れ、

力道山との因縁について取材した事がある。

 

その内容を週刊文春に1993年に「枯れない殺意」というタイトルでコラムを書いた。

木村は既に老人になっていた。

 

その当時は木村はもう過去の人。

昔力道山に負けた人位の認識しかなかった時代。

 

世間は木村の事などすっかり忘れ去っていた。

 

猪瀬に会うと木村はこう言った。

「あいつは卑怯なやつだ、だから殺した」

 

力道山は飲み屋で因縁をつけた暴力団の男に殺されたのは、

誰でも知っている事なのに、

 

出典:goo.gl/EzYi9L

その事を木村に伝えると、

「いや殺した、ここだ」

と言って木村は自分の額を指差した。

 

「ここに殺と書いたんです」

 

自分の額に殺の文字をイメージして殺したと木村は真顔で言った。

 

当然そんな非科学的な事を信じない猪瀬は、

そんなわけないでしょと否定的な事を言ったが、

木村はこういった。

 

「柔道選手権の前夜坐禅を何時間も組んでいると、

自分の額に「勝」の字が浮かび上がり、黄金色に輝き始める」

 

「「勝」が出ないと、日本刀を自分の腹に当て、食い込ませた、

そうすると「勝」が出てきた事もある」

と語った。

力道山をそうやって殺したと言ったのです。

鬼を育てた師匠

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精悍な顔立ちの牛島辰熊さん、

この人も最強柔道家の一人だが、この人が木村を育てた師匠です。

 

ブック破りをした力道山の攻撃を受け、

ノックアウトされる木村、牛島は木村を救う為にリングに駆け上がっている。

出典:goo.gl/fapLNN

 

鬼の牛島と呼ばれ、

木村政彦と同じ様に猛稽古に励み、

明治神宮大会3連覇、

日本柔道選士権大会も連覇している。

 

熊本県出身。

 

ハーフじゃない?とも言われる程、濃い顔ですが、

ハーフでは無い様です。

 

なかなかのイケメンですよね。

伝説の人です。

 

この師弟はかっこいいですね。

格闘技に関する記事のまとめページ

https://ojisan777.net/?p=12760

 

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