「木戸修最強論説」脇役レスラーが輝いた時代
現在はプロゴルファーのお父さんとして有名な木戸修さんは、
かつては脇固め一つでファンを熱狂させたレスラーでした。
画像:http://kuro.pinoko.jp/
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(梅宮辰夫の様な風貌が印象的です)
脇固めの他にはキドクラッチ、サソリ返し、
ヒールホールド、アキレス腱固め、ネックブリーカーなどがありました。
娘がゴルファー木戸修の凄さ
おじさん風貌からもっさりと繰り出される 地味な技の数々。
公称は180cm105kgとのことでしたが、
身長はもう少し低かったように思います。
とにかく黒くてビルドアップされたというよりもズンと太い体つき、
ポマードで固めた頭。
風貌はもう中年のおっさんそのものでした。
いぶし銀のテクニック
地味な試合展開から繰り出す脇固めと、キドクラッチのタイミングが絶妙で、
木戸さんが劣勢の中でこれらの技で切り返すと会場がどっと沸き上がります。
木戸修さんには現在のような大技が連発されるプロレスにはない「間」、
みたいなものがありました。
1984年から始まった第一次UWF。
まだ総合格闘技というカテゴリーがなかった時代です。
UWFを通してプロレスファンは、
それまでのプロレスという枠を越えた夢を見始めます。
初代タイガーマスクの四次元殺法に熱狂した少年達が少し大人になり、
レガースを着用してのシャープなキックや、
「イタタタ」とうめき声が聞こえてくるサブミッションの取り合いなどの、
ロープには飛ばないスタイルこそが「本物」 だと熱狂しました。
多くのプロレスファンが、
レスラー最強論やサブミッション最強論を本気で語っていた時代で、
お客の目も今ほど肥えてなかったともいえるのですが、
その分ロマンに溢れていました。
UWFの旗揚げの経緯については割愛しますが、
旗揚げに参加する、師匠のカール・ゴッチからの誘いを受けて、
木戸さんはこの第一次UWFに参加します。
この時のプロレスファンの誰一人として、
前座レスラーにしか過ぎなかった木戸さんの存在を気にかけてはいませんでした。
ですがここから木戸修さんのレスラー人生がパッと花開きます。
UWFの新しいスタイルにプロレスファンが会場に駆けつけます。
当時プロレスといえば新日と全日だけの業界事情の中で、
大都市圏のUWF会場は満員状態になります。
UWFのTV放映はなかったため、
週刊プロレスの記事を夢中で読んでいた記憶があります。
そして格闘ロード公式リーグ戦の優勝したあたりから、
木戸さんにスポットが当たり始めます。
VS藤原喜明戦は特にシブイの一言。
いつの間にやら木戸さんを誉めれば、
プロレス通みたいな雰囲気が作られていきます。
しかしすぐに第一次UWFは解散。
前田日明とのコンビでチャンピオンに輝く
UWF戦士は新日マットに出戻ります。
このことが木戸さんに、
さらにスポットをあてることになるのですから人生は面白いものです。
時は1986年8月5日、両国国技館。
IWGPタッグ選手権で王者チームの藤波辰爾&木村健吾組に、
前田日明&木戸修組が挑戦。
木戸さんがキドクラッチで木村健吾をフォールしてタッグ王者になってしまいます。
実力は誰もが認めるものの地味過ぎてキャラが立たず、
前座に甘んじていたレスラーが人気とベルトの両方を得るという快挙。
出典:goo.gl/sSZRif
レスラーには格というものがありま すが、
自己主張することなく格下に甘んじながらも、
黙々とプロレス道に励んできた男が超が付くほどの晴れ舞台でフォール勝ち。
痺れました。
欲を言えば木村健吾ではなく藤波からフォールを取って欲しかったというのは、
さすがに欲張り過ぎだったでしょうか。
すぐにタイトルは奪われ、
その後はやっぱりタイトルに絡むことなく木戸さんはレスラー人生を終えます。
プロレスにはそのレスラーの生き方や人生がはっきりと出ます。
最後までメインイベンターに拘り続けた猪木、
体力の低下後は、笑われながらも前座として興行を 盛り上げた馬場。
当時はついつい馬場さんを笑いのネタにしていましたが、
レスラーの晩年の生き方として振り返るととても興味深いものがあります。
2001年11月2日横浜文化体育館での木戸さんの引退試合は、
10分1本勝負のタッグマッチ。
結果は時間切れ引き分けでした。(その後現役復帰をしています)
同じく脇役レスラーだった「顔面だるま大使」藤原喜明の場合は、
あの札幌中島体育センターでの長州襲撃によって自ら表舞台に踊り出ました。
ですが「黒いおっさん」木戸さんは最後まで脇役に徹したイメージが強く残ります。
セメントでは一番強いという「木戸最強説」。
それがギミックだろうがなんだろうが関係なく、
ごく自然に多くのファンに浸透しました。
懐かしいものです。
プロレスと格闘技の解釈が今よりも曖昧だったあの頃。
思うに、UWFファンはそれまでのプロレスを否定しながらも、
UWFという新スタイルの中において、
従来のプロレススタイルのままで勝負をする木戸修というレスラーを、
熱く支持したのですから、ギミックとガチンコの中でグラグラと揺れながらも、
プロレスが大好 きで仕方なかったのです。
木戸修。
ぜひ平成のプロレスファンにも、
知っておいて欲しいレスラーの1人なのです。
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