力道山伝説、対木村政彦の真相や刺殺事件、仰天エピソード集

力道山が亡くなったのは、昭和38年12月15日私が生まれた時には、すでに亡くなっていた人物なので、リアルタイムにその活躍は知りませんが、色々噂というか、伝説として語られる人物なので今日は力道山について、お伝えしたいと思います。

力道山のデータ

出典:goo.gl/yplz85

1924年11月24日(別の有力な説では1922年)
身長
176センチ(公称180センチ)
体重
116キロ
格闘技のバックボーン
相撲

力道山と言えば。
プロレスの父と呼ばれるプロレス界のレジェンド。
昭和のプロレスのカリスマだった男、アントニオ猪木やジャイアント馬場の師匠。
木村政彦との昭和の巌流島対決など、エピソードが盛りだくさんだ。
私たちの世代が生まれた時には、すでに亡くなっていた伝説のプロレスラー。
力道山とはどんな人だったのか?
ちょっと長いですが、対木村政彦の謎や、殺傷事件、クズエピソードから、
いい話まで、たっぷりお伝えします。

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力道山伝説

力道山は大正13年朝鮮半島の威鏡南道洪原群新豊里の生まれ。
金信洛(キム・シンラク)という名前だった。
三男三女の末っ子。
昭和13年、14歳の時、地元のシルム(韓国相撲)大会に出場、三位に入賞した。
この時の大会の見物人の中に、長崎の実業家百田已之吉がいた。百田已之吉は二所ノ関部屋と親交があった関係で、この少年の素質を見抜き、信洛少年を日本に来ないか?と誘った。
家族は反対した。

母親は息子を日本に行かせない為、近所の娘と結婚させた。これは、結婚して子供もできれば、日本に行く事もないだろうという考えからだったが、この娘との間に子供も生まれたが、昭和15年16歳の時に故郷を飛び出し日本に来た。

以後、プロレスラーになった力道山は、自分が朝鮮人である事を隠していた、日本でその後生まれた子供も、力道山が朝鮮人だった事を力道山の死後に知る事となる。

力道山の相撲時代

二所ノ関部屋に入門する。

大相撲に入門した力道山は順調に出世した。
入門して5年目の昭和19年十両に昇進。
21年に入幕を果たし、22年の6月場所では優勝決定戦まで争う様になった。
また、真っ赤なアメリカ製のバイクを乗り回して、場所入りした話は有名です。

そんな相撲業界で順調だった力道山だったが、突然自宅で髷を落とし、相撲界を廃業します。

力道山が相撲を辞めた理由

相撲を辞めた理由は幾つか説があります。

親方とお金で揉めた。

肺ジストマという病気にかかった事があり、その後遺症で体力が衰えた。

朝鮮出身のため、差別的な待遇を受けた。
(勝ち越ししたのに、番付を下げられた事や、優勝決定戦で横綱の羽黒山を土俵際、外掛けで倒したが、物言いがつき、行事刺し違いで羽黒山が勝つなどその結果に不信感を募らせた)

また、親方からは朝鮮人なので、これ以上出世は出来ないと言われたなどの説があります。

理由ははっきり分からないが、力道山は相撲の世界を離れて、建築関係の会社でしばらく肉体労働をしていた。
また、相撲から離れたタイミングで、百田家の養子となる。

力道山プロレスとの出会い

その後、日本に来ている進駐軍のための慰問に宗教団体がプロレスラーを連れて、日本を訪れた。そして、日本で興行を行う事になった。

そこで、力道山に誘いが来た。
力道山はアメリカのレスラーであるボビーブランズの指導を受けプロレスの練習を行い、昭和26年の10月28日に力道山はアメリカ軍の慰問興行で10分一本勝負のエキシビションを戦いレスラーとして、初めてリングに上がった。

この事がきっかけで、1年間のアメリカ修行を経て帰国後、
「日本プロレスリング協会」を設立した。

力道山はプロレスラーとなり、大成功を収める。大きなアメリカ人と戦い、最初はやられているが、力道山の怒りが爆発し、空手チョップが炸裂して大男を倒す。そんなストーリーのプロレスが、戦後の日本人に勇気を与え、国民的ヒーローとなった。
しかし、その当時のプロレスを見ている人々はプロレスが筋書きのあるショーという事を知らず、真剣勝負として見ていた。テレビでも、 NHKがスポーツとして放送していた。

力道山対木村政彦の真相とは?

鬼の木村とは

出典:goo.gl/Jc63NM

木村政彦は現在でも語り継がれる柔道選手だった。
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と称えられた、柔道史上最強の男と呼ばれている。木村は170センチ85キロと当時の柔道家の中でもけっして大きな選手ではなかったが、
常軌を逸した稽古量(1日10時間)と負けたら腹を切るという覚悟で、試合前に切腹の練習までして、試合に臨み、全日本選手権は13年連続保持、15年無敗で柔道を引退した。
その強さから鬼の木村と呼ばれた。

全身これ筋肉、握力は200キロあったという。

木村は柔道と並行して、剛柔流空手、松濤館空手、ボクシングも練習し打撃もできる。
また、柔道引退後ブラジルで、グレーシー柔術の祖、エリオグレーシーと戦い、エリオの腕をへし折り、圧倒的な強さで勝利した武人である。

そんな無敵の強さを誇っていた木村は柔道引退後、奥さんが病気になり、その薬代を稼ぐために、プロレスラーになっていた。

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昭和の巌流島決戦

木村はプロレスラーになってから、力道山とタッグを組む事が多かった。シャープ兄弟との戦いは有名ですが、木村はいつも負け役をさせられていた。
いくら、真剣勝負ではないプロレスのリングの上と言っても、木村はストレスを感じていた。

木村は朝日新聞誌上で、「真剣勝負なら負けない!」と発言した。
この記事を見た力道山は激怒して、2人はリングで戦う事となる。

木村政彦 37歳
力道山30歳

この2人の戦いは「昭和の巌流島決戦」と銘打って1954年12月22日蔵前国技館で行われた。

と、言ってもこの2人の戦いは両者が調整しあって戦う、普通のプロレスの試合だった。

しかし、試合が始まると、序盤は普通のプロレスの試合だったが、途中から力道山が豹変して、木村政彦に右ストレートを放ち、ダメージを与え、そこから張り手の乱れ打ちで、木村をKOした。木村は大量の血を流し、マットに血溜まりが出来た。

この時、リングサイドには、木村の弟分の後の極真空手の大山倍達がいた。怒った大山はその場で、力道山に挑戦したが力道山は目線を合わさず無視した。

プロレスは真剣勝負ではなく、事前に打ち合わせのあるショーであるが、力道山はブックを破り、木村を血の海に沈めた。

その後、大山、木村とも力道山が許せず、力道山をつけ狙った。
この戦いで謎なのは、何故力道山が木村政彦に対していきなりシュートを仕掛けたのか?という事。

力道山がマスコミに公開した念書

新聞記者の門茂男(かどしげお)は負けた木村政彦に取材をした後で力道山に取材を申し込んだ。柔道出身の門は、木村の強さを知っていたので、この昭和の巌流島決戦に木村の勝ちに今月の給料を全部賭けた。しかし、木村が無様に負けた試合に納得ができなかった為、取材を行った。

木村は激怒して、もう一度勝負しろ、力道山の反則で試合が一方的に終わったと言っている。
そして、空手の大山倍達(極真空手)と、忍術家の藤田西湖(甲賀流忍術第14世)が真剣勝負の喧嘩マッチをしたいと、伝言を受けていると伝えた。

力道山は激怒して、一旦門を追い帰すが、門が新聞社に帰ると力道山から電話があり、
試合の念書を持って行かすから新聞に掲載しろと言った。

念書は2通で、1通目には、この戦いは3本勝負で行い。1本目、2本目はそれぞれが勝ち、3本目は引き分けという内容。
そして、2通目には、またこの戦いが終われば、また再戦する。その時は力道山の勝ちで良いという内容で、木村政彦の署名と捺印があった。
日付は11月26日となっていた。

以下力道山の主張

これは、負け役ばかりやらされる、真剣勝負なら自分が勝つと言っていた、木村本人がワシに持って来て、直接手渡されたものだ。

世間を欺いているのは木村だ!と力道山は言う。

ワシはそういう事が嫌いなんだ。だから、自分は念書は書いていない。
木村は力道山が念書を受け取ったので、力道山がこの八百長を了承したと勝手に判断したと主張。

試合中も、この試合はイーブンにしようと何回も言って来たが、ワシはノーと答えた。

そして、試合中木村が力道山の技を受けずに逆らった事と、痛めている足を攻撃してきた事をあげ、自分の寝首を搔こうとした木村に制裁を加えたといった内容を喋った。

この木村戦について、当時力道山に可愛がられていた張本勲は、力道山にこんな事を聞かされた。
「本当は引き分けにするつもりだったが、内掛けの時力道山の急所に足があたった。あの気性ですから、話が違うじゃないか!と本気になった。」
「本当は木村を殺そうと思っていた」と張本に力道山は言った。

いやいや、スポーツなんだから、殺すって(笑)と張本は言ったが、

「いや、戦いは生きるか死ぬかなんだ」と力道山に聞かされてゾッとしたと言っている。
この試合にかんして、木村肯定派の意見と力道山肯定派の意見両方を紹介します。

木村肯定派の意見

力道山は念書を出す、出すと言って出さなかった。八百長を受け入れるフリをして、当日になって裏切った汚い奴だ。木村政彦が本気で戦えば、力道山に勝ち目はない。そして、今回のルールは、木村政彦のみ打撃が禁止になっていたし、レフェリーも力道山側のレフェリーだ。最初からだまし討ちするつもりだったのだ。

力道山肯定派の意見

木村政彦はプロレスを舐めすぎた。まず、この勝負の前夜、日本酒やビールを大量にホテルで飲んでいる。真剣勝負とか言っておいて、最初からインチキする気満々やん。武人であれば、力道山がシュートを仕掛けてきたら、その場で応戦して倒せばいい。いくら鬼の木村と言っても、年齢も37歳、体も力道山が一回り大きい。まともに力道山とやっても、勝てるとは思えんがね。

この両者の戦いはお互いのバックにる組織が話し合って手打ちになった。

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力道山刺殺事件

この事件は赤坂にあるナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で起こった事件。

その日力道山は泥酔していた。

トイレに向かう通路で、女性に何やら話しかけていた。
その後ろをたまたま通った、この店の用心棒住吉会系の暴力団村田勝志に、

「足を踏んだだろ」
と因縁を付けた事が引き金となる。

足など踏んでいない村田は「踏んでない」と言ったが、力道山は聞き入れず口論となった。
お互いに引かない状態で村田は懐中に手を入れた、刃物を出す事を察知した力道山は、

「わかった、仲直りしよう」と村田に言ったという。
この和解の提案に、村田は拒否、いきなり因縁をつけてきて、皆んなの見てる前で、バカにされて、仲直りって?という心理。

すると力道山は村田を殴り、壁に激突させた。

そして馬乗りになり殴り続けた。
村田は殺されると思い、刃物を抜いて力道山の腹を刺した。
力道山がうずくまっている隙に村田はその場を逃走した。

力道山の死因

この時応急処置だけで力道山はまた酒を飲んでいる。

そして家に帰ったが、次の日症状が悪化した為、産婦人科が専門の山王病院に行った、
これは、この事件が発覚するのを嫌った力道山が有名な外科病院への入院を断った為、緊急手術が必要と判断した病院は聖路加病院の外科部長に執刀を要請した、

手術は成功する。

しかし、刺されて7日目の回診で腸閉塞を起こしている事が分かる。
直ちに再手術を行なったが、夜の9時頃危篤になり、同じ日の10時30分に死亡した。

力道山の死因は正式には、穿孔性化膿性腹膜炎と診断されているが、色々な説がある。

医療ミス

麻酔を担当した外科医が筋弛緩剤を注射した後、口から気管内チューブを挿入して気道確保を行うがそれに失敗して医療事故を起こした。

余計なものを飲み食いした

実は力道山の腹膜炎はほとんど治っていたが、付き人に寿司や酒を買いにやらせて、力道山は食べていた。本来は水を飲むだけでも気をつけなければいけないのに、寿司に酒って!この話は本当か分からないが、最初の手術の時、力道山がコーラーやサイダーをごくごく飲んでいる所を目撃されている。※これは力道山の妻だった田中敬子さんは否定している。

力道山は、家族の要望で、慶応病院で解剖されている。解剖の結果、解剖した担当医は「傷口の洗浄不備と麻酔の過剰投与が原因」と言ったとも言われている。

力道山の息子

力道山には、朝鮮に残してきた娘が1人いたが、日本にも娘2人と京都で知り合った女性との間に生まれた息子が2人いる。
この2人が後にプロレスラーになる。

百田 義浩と百田 光雄

百田 義浩

慶應義塾大学法学部卒業、リキボクシングジムのオーナーから全日本プロレスの旗揚げに参加、リングアナウンサー兼取締役を務めた。
その後プロレスラーに転向、1987年までレスラーを続け、再び取締役に、ジャイアント馬場が亡くなると、三沢光晴が立ち上げたプロレスリングノアに取締役として、参加、しかしノア立ち上げ後、しばらくして亡くなった。

百田 光雄

高校卒業後、日本プロレスに入りレスラーになるが、全日本プロレスの旗揚げに兄と共に参加、全日本では、6:30の男と呼ばれた。これは第一試合の若手の試合に登場して、若手の壁として、立ちふさがる、存在だったから。

その後全日本で活躍したあと、三沢光晴と共にプロレスリングノアに移籍しノアでも活躍、その後フリーのレスラーとなる。
息子の百田力もプロレスラーです。

力道山のクズエピソード

力道山の性格

力道山は、キレやすく、すぐに感情的になり、暴力沙汰は日常茶飯事。また、力道山が活躍した時代は、興行の世界に普通にヤクザがいたが、そのヤクザに対しても、横柄な態度を取っていたため、命を狙われる事さえあった。

タクシー運転手を殴り、止めに入った警察官も殴る。

支援者の親分がよこしたボディーガードを殴る。

などもしていた、問題になりかけたら、金で解決していたという。

力道山刺殺事件で死ななかったとしても、誰か別の人間が殺したのではないか?という意見まである。私は亡くなった人の名誉を傷つけるつもりは無いが、力道山の場合は余りにも酷い証言をする人が多い為その一部を紹介します。

力道山の人柄について、かつての弟子のジャイアント馬場は、「人間として何一つ 良いところの無い人でした」と発言し、アントニオ猪木は力道山に対して殺意すらおぼえたと言います。
特にアントニオ猪木に対するいじめ、暴力は酷く、猪木が自分より下の人間をいじめないのは、力道山みたいになりたくないという理由からでした。

では、エピソードを紹介しましょう。

馬場に一升瓶に入った酒を一気させる

力道山は日々プロレスラーは一般人と違って、怪物の様な強さがあるという事を吹聴していた。若手には冬でもアロハシャツを着る事を命じたり、これは、力道山に可愛がられていた、張本勲が力道山について語っているが、力道山は薄いガラスのコップをバリバリと歯で砕いて食べたりしていた。と証言している。

この力道山のガラスのコップを食べる事については、張本勲以外にも、石原慎太郎も目撃しているそうで、自分の著書に書いている。力道山は自分の弟子にも同じ様に人間離れした行動をする様に命じている。ジャイアント馬場には、一升瓶に入った酒を一気飲みさせた。猪木も同様の経験をしている。

馬場が修行時代アメリカで稼いだ金を奪う

ジャイアント馬場はアメリカに遠征に出た、酷い環境だったが馬場は、自分の力で運命を切り開き人気を博し大金を稼いだ。アメリカでスターになった。力道山はその馬場のファイトマネーを、馬場から借りて、踏み倒した。踏み倒した額は現在の貨幣価値に換算すると数千万だ。

ジャイアント馬場についてはこちらで詳しく書いています。

ジャイアント馬場の全盛期と靴のサイズ、弱い?強い?

とんでもない所で突き落とす

猪木は力道山の所有するクルーザーで海に出た、沖に出てしばらくすると、ここで海に降りろと言われた。
一時間半かけて泳ぎ猪木は東京に着いた。

猪木は走っている車から突き落とされた。

色々なイジメ

■猪木は力道山の付き人で、身の回りの世話をしていたが、汽車で移動中疲れすぎて、ウトウトしていた。優しい力道山は、火の付いた葉巻を猪木の腕に押し付け起こしてくれた。

■酔った力道山は猪木の頭をゴルフクラブでおもいっきり殴った。猪木は熱が出て一週間寝込んだ。

■おいアゴ!と猪木は呼ばれていた。「乞食野郎!」とか、
「移民のガキが!」「ブラジルに追い返すぞ!」としょっちゅう言われていた。

■巡業先の旅館で力道山のに靴を履かせていた猪木、「なんだその履かせ方は!」と言って、猪木の持っている靴ベラを取り上げ、思いっきり猪木の頰を打った。
皆んなが見ている前で、猪木は叩かれた。

ここまでは、猪木や馬場のその後の活躍や、強さに免じてなんとか我慢できるが、
この次のエピソードは、胸糞注意です。

対戦相手を殺せと言った

昭和の巌流島決戦の日の前座の試合に、力道山の相撲時代の後輩、芳の里淳三と柔道五段、静岡出身のプロレスラー市川登の試合が組まれていた。芳の里はプロレスの試合なのに市川にシュートを仕掛け、渾身の力を込めて、張り手を数十発みまった。

市川はノックダウンした。その時、脳に重い障害を受けて、その後故郷に帰って廃人の様に暮らした。そして1967年に市川は死んだ。
芳の里は当時絶対に逆らえない相手の力道山からの命令で仕方なくやった。食事のたびに、市川を殺せと言われていたという。

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力道山のいい話

当然人間には、表の顔があれば裏の顔もある。悪いエピソードもあればいい話もある。
という事で、クズエピソードに続いて、いい人エピソードも紹介します。

■力道山はプロレスがブームになっても、決して入場料は値上げしなかった。これは、金持ちも貧乏も関係なく楽しんで貰いたいからとの理由。

■仲間の力士と酒を飲んでいる時、弟子の猪木を紹介して、「こいつ、いい顔しているだろ」と言った。猪木は嬉しかった。

■グレート小鹿(プロレスラー)は力道山に「親孝行しろよ」とよく言われた。小鹿の母親はプロレスラーになった息子を心配して、「スグカエレ」と毎日電報を打ってきた、それを知った力道山は、「お前親不孝してるな、母親がいいというまで、帰ってくるな」
と言って小鹿を帰らせた。

■力道山が死ぬ前に結婚した田中敬子さんにプロポーズした力道山だったが、田中さんは最初は家族に反対され断っていた、どうしても結婚したかった力道山はあらゆる手を使います。プロポーズのOKを貰った力道山は、席を外します。心配して見に行くと、涙を流して泣いていた。

力道山の墓の場所

東京都大田区池上本門寺

さて、いかがでしたでしょうか?

昭和のヒーロー力道山についてでした。

実はまだまだ、エピソードはありますが、書ききれません。

また、機会があれば、力道山について書きたいと思います。

では、また!

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