日本人歴代最強投手は誰だ?プロ野球史上最強ピッチャーはこいつだ!

2020年10月9日

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日本人歴代最強投手って誰なのでしょうか?

 

やっぱり、ダルビッシュ有ですかね?

それとも、田中将大でしょうか?

 

いやいや、あのピッチャーの全盛期を知らないのか!

 

と、熱心なプロ野球ファンから怒られてしまいそうですが・・・

という事で今回は、様々な時代のあの人が最強じゃない?

と言われたピッチャー達を紹介します。

 

おいおい、あのピッチャーが入ってないぞ!とか、

あいつを入れるんなら、あいつを入れろなど、

様々な意見があるかもしれませんが、そこはご了承ください。

 

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歴代最強日本人投手は誰だ?天才ピッチャー列伝

投手

沢村栄治

身長174センチ、体重71キロ 三重県出身

1917年2月1日-1944年12月2日(27歳)

 

野球を余り知らない人でも、

沢村賞というピッチャーに送られる賞があるという事は、

なんとなく知っているのではないでしょうか?

 

沢村栄治はプロ野球黎明期に巨人に在籍して、

豪速球投手として、大活躍した選手です。

 

17歳の時に第1回日米野球に出場、今とは違い、

アメリカと日本の野球の実力の差が天と地ほどあった時代、

豪速球と変化球でアメリカ打線を6回までヒット一本に抑えた。

 

この時の対戦相手のアメリカチームには、

ベーブルースを含む、数々のレジェンド打者がおり、

それを僅か17歳の少年が見事に打ち取ったのです。

 

その後プロ野球が始まると、史上初のノーヒットノーランを達成、

1937年は、24勝をマークし、防御率0.81の成績を残した。

 

ノーヒットノーランは三度達成した。

 

しかし、徴兵により戦地に駆り出され、

それが元で身体を壊し、復帰を果たすが身体は満身創痍、

巨人は沢村を解雇した。

 

現役引退後、再び戦地に送られた沢村は、

東シナ海で、アメリカの潜水艦に乗っていた船が撃墜されて、

この世を去った。 27歳という若さだった。

 

戦争がなければ、どれほど活躍した事だろうか、

おそらく、とてつもない記録を作ったのではないでしょうか。

巨人は沢村の背番号14を永久欠番とした。

金田正一

身長183センチ 体重73キロ 愛知県出身

1933年8月1日 国鉄スワローズ→読売ジャイアンツ

 

通算400勝は日本記録 国鉄時代は天皇と呼ばれた。

相手チームのバッターに、金田の球が余りにも早い為、

ピッチャーとキャッチャーの距離が短いんじゃないか?

とクレームをつけられた事があるというエピソードを持つ。

 

もちろん、距離が短いわけはなく、規定の距離だった。

金田の全盛期に対戦したバッター達も、150キロ台後半か、

160キロは出ていたと証言している。

 

奪三振は4490、シーズン20勝以上14年連続 今では考えられない記録ですが、

金田の記録に関しては、否定的な意見もある。

 

というのが、金田が活躍した時代は、

先発もするし、救援もする。

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連投もすると、今のローテーションの野球とは根本的に違う、

また、金田は国鉄時代その実力からチーム内での振る舞いは傍若無人、

監督がいるのに、勝てそうな試合になると、

審判に「ピッチャー金田」と勝手に告げてマウンドに登り、

勝ち投手になったりもしていた。

 

先発での勝利数268 救援勝利132 更に国鉄から巨人に移籍したのだが、

国鉄最後の年は、27勝しているが、巨人に移籍したとたん、

11勝に落ち、翌年4勝、僅か在籍5年で引退した。

 

しかし、この時代、ピッチャーは酷使されていた時代で、

200勝する選手も少なかった。

 

従って、金田の記録に対して否定的な意見は間違っているという人も多い。

通算成績 400勝 298敗 奪三振4490  防御率2.34

稲尾和久

身長180センチ 80キロ 大分県出身

1937年6月10日-2007年11月13日 西武ライオンズ

 

「神様、仏様、稲尾様」のフレーズは超有名、

西武と巨人の日本シリーズで、稲尾が3試合中2試合に先発するが、

三連敗、1日挟んで、再び稲尾が先発で4試合目に初勝利をあげると、

5試合目もリリーフで登板して勝ち、6試合目、7試合目も稲尾が先発し、

西武が勝利した。

 

7試合中6試合に登板するという、今では信じられない活躍。

 

もちろん、稲尾が投げたいと言ったのではなく、監督の采配です。

 

実働14年で、756試合に登板して、

276勝、防御率1.98 シーズン20連勝を達成した年は、

35勝を上げ、史上最年少でリーグMVP、

 

翌年も33勝を上げて、MVPになった。

 

その他、シーズン42勝も達成している。

 

直球、シュート、スライダーを得意としていた。

投手としても、凄いが人間的にも凄い人と尊敬されている。

 

平松政次

身長176センチ 体重74キロ 岡山県出身

1947年9月19日 大洋ホエールズ

 

「カミソリシュート」 アマチュア時代は、

殆どストレートで打者を打ち取っていたが、

プロに入ってから、本格的に、変化球を投げた。

 

シュートの投球ホームはストレートと同じ、

一瞬左肩を早く開いて右腕を遅らせる、

ボールの出所が見にくい、

そしてそのボールは右打者の胸元に鋭く食い込む。

 

これが、カミソリシュート。

 

巨人キラーとしても有名、当時は巨人のV9時代、

通算201勝のうち、51勝を上げている。

 

また、51勝47敗と勝ち越している。

長嶋茂雄は、平松の事を最も苦手としていた。

堀内恒夫

身長178センチ 体重73キロ 出身地山梨県

1948年1月16日 読売ジャイアンツ

 

ジャイアンツのV9時代にエースとして活躍した投手、

ドラフト1位で巨人に入団すると、翌年に16勝2敗を上げる。

 

勝率は.889(セリーグ記録)防御率1.39、奪三振117、

最優秀防御率、最高勝率、沢村賞、新人王を会得した。

 

それ以降13年連続で二桁勝利をあげ、安定感は抜群。

 

ルーキー時代から素行が悪く、

「悪太郎」と呼ばれていて、王貞治から殴られた事もある。

 

通算成績 勝ち星203勝 1865奪三振 防御率3.27

江夏豊

身長179センチ 体重90キロ 兵庫県出身

1948年5月15日 阪神タイガース→南海ホークス→広島東洋カープ→日本ハムファイターズ→西武ライオンズ

 

ニックネームは、「優勝請負人」

全盛期の江夏こそ最強のピッチャーであるという人が実は多い。

ピッチングは150キロ弱、球種はストレートとカーブのみ。

シーズン401奪三振は世界記録、おそらく誰もこの記録を破る事が出来ないと言われている。

最優秀救援投手5回、オールスター9連続奪三振、

9連続奪三振の内訳

1番 有藤 道世(ロッテ) 空振り三振

2番 基  満男(西鉄)  空振り三振

3番 長池 徳二(阪急)  空振り三振

4番 江藤 慎一(ロッテ) 空振り三振

5番 土井 正博(近鉄)  空振り三振

6番 東田 正義(西鉄)  空振り三振

7番 阪本 敏三(阪急)  空振り三振

8番 岡村 浩二(阪急)  空振り三振

9番 加藤 秀司(阪急)  空振り三振

ノーヒットノーラン

1973年阪神時代、23勝13敗の状態で中2日でマウンドに立った。

延長11回で0対0、球数は、142球となっていた。

 

この試合を決めたのは、江夏自身、

自らホームランを打ってノーヒットノーランを達成した。

通算206勝 奪三振2987 防御率2.49

山田久志

身長176センチ 体重77キロ 秋田県出身

1948年7月29日 阪急ブレーブス

 

背番号17 アンダースロー投手として日本最多の284勝を記録、

「史上最高のサブマリン投手」と呼ばれる。

 

1976年に26勝 プロ野球史上初3年連続MVP 12年連続開幕投手

1シーズン20勝以上4回 284勝166敗43セーブ、

奪三振2058  防御率3.18 南海の門田博光とはライバル、

最も対戦に力が入ったバッターの1人と語る。

 

門田と対戦する時は、

得意の変化球は封印してストレート勝負をしたそうです。

 

阪急のリーグ優勝にも大きく貢献し、

阪急のエースとして一時代を築いた。

杉浦忠

身長176センチ 71キロ 愛知県出身

1935年9月17日 南海ホークス

 

「史上最強のアンダースロー」「魅惑のアンダースロー」

通算成績187勝106敗 21引分 勝率6割3部8厘 1756奪三振

防御率2.39 杉浦について野村克也は、

「杉浦忠のボールは右打者の背後からカーブが曲がってくる、そして背中を通る軌道がストライクになる」

と語る。 プロ入団一年目から開幕投手をつとめ、

27勝をあげて新人王を会得すると、

2年目は、なんと38勝をあげ、南海のリーグ優勝に大きく貢献する。

 

この年杉浦はMVPを受賞し、投手5冠という快挙を達成する。

(投手5冠は杉浦含めて7人しか達成していない)

この2年目の1959年もう1つの伝説を作る。

 

巨人との日本シリーズで、杉浦は、第1戦から第4戦まで全て登板して、

4連勝。日本一に輝きました。 今では考えられない事ですね。

3年目31勝、4年目20勝を上げるが成績は下降する。

酷使され続けた右腕の血管に異常をきたし血が通わなくなる。

腕は真っ白になり、カチカチ、握力は大きく落ちたという。

 

長いイニングを投げられなくなった杉浦は抑えの切り札として、

活躍したが、当時セーブの制度はなかった。

 

杉浦は、通算183勝しかあげていないが、

落合博満は、200勝が条件の名球会に対して、

「あの杉浦さんが入っていない名球会に何の意味があるのか」と語ったという。

村田兆治

身長181センチ 体重78キロ 出身地広島

1942年11月27日 ロッテオリオンズ

 

ダイナミックなホーム「マサカリ投法」は有名、

215勝 177敗 25引分け 33セーブ 勝率.548

奪三振2363 防御率3.24

 

フォークボールを会得した村田は、

対戦バッターのバットをことごとく空を切らせた、

1976年257回を投げて、21勝をあげる。

 

防御率1.82で最優秀防御率を、

そして、奪三振202もリーグ最多だった。

 

1979年には自己最多の21完投、230奪三振、

1981年は、開幕11連勝、19勝で最多勝のタイトルまで獲得した。

 

しかし、肘を故障し、アメリカで手術を受ける。

 

2年間リハビリに専念すると、その後復活、

復活の翌年に開幕11連勝を飾り、17勝5敗の成績でリーグ戦を終えた。

 

中6日で日曜日にのみ先発する事から「サンデー兆治」と呼ばれた。

江川卓

身長183センチ 体重90キロ 福島県出身

1955年5月25日 阪神タイガース→読売ジャイアンツ

 

「怪物」 135勝 72敗  1引分 3セーブ 1366奪三振 防御率3.02

プロ入りの時はゴタゴタがあったが、

プロ2年目で最多勝と最多奪三振(16勝219)3年目には、

20勝5敗、防御率2.29、奪三振221、最多勝、最優秀防御率、

最多奪三振、最高勝率、最多完封の投手2冠に輝いた。

 

プロで135勝しかしていない江川が、

何故これほど凄い投手だったと言われているのか。

 

彼の全盛期は高校、大学時代と言われている。

 

大学時代肩を怪我していて、

プロに入ってからは下降線と言われていたが、

実際に対戦した落合は現役時代対戦したピッチャーの中では、

江川が一番と言っていた。

 

もし、高校を卒業した段階で江川がプロに入っていたら、

更にとんでもない活躍をしたんではないだろうか?

という意見を言う人が多い。

斎藤雅樹

身長181センチ 体重93キロ 埼玉県出身

1965年2月18日 読売ジャイアンツ

 

「平成の大エース」 180勝96敗1引分 11セーブ 1707奪三振

防御率2.77 勝率.652 2年連続20勝、11連続完投勝利

 

入団当初はノミの心臓と呼ばれ、

投手には向いていないという事で、

ショートにコンバートが真剣に検討されていた斎藤だったが、

その実力は7年目で開花した。

 

サイドスローから威力抜群なストレート、カーブ、

シンカーを織りまぜるピッチングが持ち味で、

「ミスター完投」とも呼ばれた。

 

獲得したタイトルは、最多勝5回、最優秀防御率3回、

最多奪三振1回、 斎藤雅樹の全盛期は、

1989年と1990年、2年連続20勝を達成した年です。

 

2年連続20勝は斎藤以来現在に至るまで達成されていない。

巨人の相手チームを応援していたファンは斎藤が出てきただけで、

今日は負けやという絶望感を持ったという。

佐々木主浩

190センチ 98キロ 宮城県出身

1968年2月22日 横浜大洋ベイスターズ→シアトル・マリナーズ→横浜ベイスターズ

 

日本人のメジャーリーグのセーブ記録129セーブは最多、

日本のプロ野球のセーブは、252セーブ、日米通算381セーブ。

 

名球会初のセーブ数による入会者「ハマノの大魔神」

日本プロ野球成績 43勝38敗 252セーブ 防御率2.41

 

メジャーリーグ成績 7勝16敗 129セーブ 防御率3.14 150キロの速球と、

140キロ弱のスピードを保ったまま鋭く落ちるフォークボールを、

武器に三振の山を築いた大魔神佐々木、

ストレートとフォークの2種類の球種であるが、

バッターは打てない。

 

七回までにリードしていないと勝てない、

佐々木が出てきたら、負けたと思ったと相手チームの選手にも、

絶望感を与えたという。

 

メジャーリーグでは、マリナーズで活躍し、

イチローのチームメイトとしても活躍した。

 

メジャーの後半、横浜に復帰してからは、

活躍する事ができなかったが、

全盛期は最強クラスのピッチャーである事は間違いがない。

伊藤智仁

身長183センチ 76キロ 京都府出身

1970年10月30日 ヤクルトスワローズ

 

現役で活躍した期間は7年と短く、

勝利数も37試合と少ないが、

彼の全盛期は史上最強のピッチャーであるというプロ野球ファンは多い。

 

バルセロナオリンピックの野球日本代表に選ばれると、

一大会27奪三振というギネス記録を作った。

 

150キロを超えるストレートと、

真横に滑る様に曲がる高速スライダーを武器に三振の山を築いた。

 

1993年デビューの年、前半戦だけで7勝2敗、防御率0.91に成績をあげる。

 

しかし、ルーズショルダーであった彼は、

7月の半ばに肘を痛めて、戦線を離脱した。

 

これは、コーチ陣は伊藤のショートショルダーを知っていて、

登板間隔や投球回数を減らす様に促したが、

監督だった野村克也は聞き入れず、伊藤を使い続けた。

 

伊藤はシーズンが始まって、3ヶ月で戦線を離脱したが、

この年の新人王に選ばれた。

 

1997年には、7勝2敗19セーブを記録して、

カムバック賞を受賞するが、

肘、肩の傷は癒えておらず2001年に惜しまれつつ引退した。

 

通算成績 37勝27敗 25セーブ 防御率2.31

斉藤和巳

身長192センチ 体重97キロ 京都府出身

1977年11月30日 福岡ソフトバンクホークス

 

斉藤和巳を全盛期最強ピッチャーという人が多い。

 

沢村賞2回、投手5冠達成など、沢村賞複数回、

投手5冠はプロ野球の歴史でも、杉下茂と斉藤和巳の2人だけ。

 

斉藤和巳の全盛期は2003年〜2006年の4年間、

2003年 20勝3敗 防御率2.83 勝率.870

2005年 16勝1敗 防御率1.12 勝率.941

2006年 18勝5敗 防御率1.75 勝率.783

 

最速153キロのストレートとスライダー、

カーブ、そして、最高146キロの高速フォークで、

空振りの山を築いた。

 

「負けないピッチャー」「負けないエース」と呼ばれた。

通算成績 79勝23敗 防御率3.33 勝率.775

ダルビッシュ有

身長195.6センチ 体重99.8キロ 大阪府出身

1986年8月16日 北海道日本ハムファイターズ→テキサス・レンジャーズ→ロサンゼルス・ドジャース

 

最速159キロの速球と数種類のスライダー、

そしてカットボール、球速の違う、

数種類のカーブ、数種類のフォークを投げ分ける。

 

ありとあらゆる変化球を持っていて、

尚且つ全ての球が勝負球で使えるというレベルに達してるという。

 

特にスライダーは高く評価されている。

 

変化球、そして160キロに届く速球を投げる。

 

常識では考えられない記録を達成すると考えられている、

最強候補ナンバーワンのピッチャーです。

 

日本での成績  93勝38敗 防御率1.98 勝率.710

メジャーリーグでの5年間での成績 46勝30敗 防御率3.29 勝率.605

田中将大

身長190.5センチ 体重97.5キロ 兵庫県出身

1988年11月1日 東北楽天ゴールデンイーグルス→ニューヨーク・ヤンキース

 

甲子園で斎藤佑樹との激闘で日本中を釘付けにした田中将大は、

楽天に高卒で入団、大学に進んだ斎藤佑樹とは、

正反対に着実に実績を残し、不動のエースとして君臨した。

 

そして楽天で成し遂げた偉業は、ギネスにも登録された。

 

日本で活躍した年数は7年、

日本のプロ野球の実績

99勝35敗 防御率2.30

 

ギネス記録その1 30連勝、投手による連続勝利記録

※2012年8月26日〜2013年10月27日までの記録、

日本シリーズ、シーズン以外の記録も含む

ギネス記録その2 28連勝、投手によるレギュラーシーズン連続勝利記録

※2012年8月26日〜2013年10月8日までのシーズン中のみの記録

ギネス記録その3 24連勝、投手による1レギュラーシーズン連続勝利記録

※2013年4月2~2013年10月8日までの1シーズン24連勝の記録

 

日本で活躍後、ニューヨーク・ヤンキースに移籍、

ヤンキースとの契約は7年契約155億円

7年間毎年、22億入ってくる計算。

メジャーリーグ2016年までの成績

39勝16敗 防御率3.12

最後に

という事で、今日は最強ピッチャーという事で、

凄い記録と記憶を残したピッチャー達を紹介しました。

 

それにしても、昔のプロ野球は今と違って、

ピッチャーはめちゃくちゃな間隔で登板していたんですね。

 

セーブも無かったし、そういう意味では400勝したカネヤンは凄いですね。

では、また!

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