飛龍革命とは?藤波が前髪を切った時のセリフ(翻訳付)と時代背景

飛龍革命(ひりゅうかくめい)とは、1988年4月22日の沖縄県立奥武山公園体育館の新日本プロレスの控え室で、藤波辰巳(辰爾)がアントニオ猪木に対して行なった言動と行為の事を言います。

この日の試合後、(アントニオ猪木、藤波辰巳VSマサ斎藤、ビックバンベイダー)藤波辰巳が、アントニオ猪木に対して、何かを訴えて、お互いにビンタしあって、藤波が髪を切り出すという、よくわからないけど、何だか大変な事が起こったんじゃないの?とプロレスファンに感じさせた。

そんな飛龍革命について今日は掘り下げていきたいと思います。

この年、藤波は34歳、この年の3月いっぱいで、新日本プロレスがゴールデンを撤退、土曜の夕方の放送になった。しかし、相変わらず、アントニオ猪木が絶対的なエースだった。

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飛龍革命とは?

飛龍革命のセリフ(翻訳付き)

飛龍革命で、藤波が猪木に対して話た内容を何度聞き直しても、藤波が何を言っているのか分からないという意見が多いです。私も改めて聞き直してみましたが、正直なんて言っているのか分からない部分が多かったです。

スロー再生で聴いて書き起こしたのが、以下になります。

控え室で椅子に腰掛ける猪木に対して藤波が口を開く。

藤波 ベイダーとシングルやらせてください。

猪木 え?

藤波 僕今日何もやってないです。

藤波 もういい加減に許してください。 もう一回繰り返しますよ、まっすぐ自分の思うことをやります。お願いします。

藤波 はっきりしてください猪木さん!

藤波 東京と大阪2連戦無理ですハッキリ言って。

藤波 おれ自分が今日まあ、#℃&*☆@§言える立場¢℃¥けど・・(負けてね言える立場じゃないけど)

藤波 俺らはなんなんですか? 俺らは?

猪木 本気かい?えぇ?

藤波 ほん☆♨︎@§◎☆す(本気のつもりです)

猪木 命かけたのか、命を?

猪木 勝負だぜ、お前、この場は。

藤波 もう何年続くか! 何年これが!

猪木 だったらぶち破れよ!

猪木 何でおれにやらせるんだ お前!

藤波 じゃあやらせて下さい、いいですか?やりますよ大阪で?

猪木 ああ?俺は前から言ってる 遠慮するこたぁねえって リングの上は戦いなんだから よ。先輩も後輩もない遠慮されても困るよ。

猪木 なんで遠慮するんだお前。

藤波 遠慮してんじゃないっす、これが流れじゃないですか!これが新日本プロレスの!ねぇそうじゃないっすか?

猪木 じゃあ、力でやれよ、力で。

藤波 やります。

猪木 あぁ?・・ あぁ?やれるのか本当にお前!

(バッシ!藤波にビンタする猪木)

(ビシッ!すぐに猪木にビンタを返す藤波)

藤波 ほっつ¥$¢℃¥☆♨︎@§#℃&*☆おお!(ほっといて下さい俺の事を!)

猪木 あぁ?

藤波 ええ!

猪木 いけるかい?ええ?

(突然後ろを振り向き救急箱からハサミを取り出す藤波)

藤波 やりますよ

(何故か前髪を切り始める藤波)

猪木 まて、まて まて

藤波 いらないですよこんなもの。

猪木 よぉし

藤波 こんななってもお客さん呼びますからね!

藤波 も&*☆♨︎ひさん いっ$¢℃¥☆♨︎@§ないですよこれ!(猪木さんいっちょクソミソもないですよこれ!)※意味は不明

藤波 おれ負けても平気ですよ!負けても本望ですよこれでやるんだったら。

猪木 やれ、やるんなら。

藤波 やります。

猪木 ああ・・

藤波 手出さないでくださいよ。

猪木 オッケー、俺は何も言わんぞもう。

猪木 やれよ、そのかわり。

藤波 やります。

猪木 よおし。

藤波 大阪で俺の進退かけます、だったらいいですか?

猪木 なんだっていいや。

猪木 なんだって言ってこいや。

猪木 遠慮するこたぁねえよ。

藤波 もういいっす。

飛龍革命とは何だったのか?

飛龍革命は当時、色々うっぷんがたまっていた藤波辰巳の感情が爆発して、起こった事です。何故藤波の感情が爆発したのか、当時の新日本プロレスの置かれた状況を確認しておきましょう。

飛龍革命の前年

飛龍革命の前年1987年(昭和62年)この年はプロレスで関係ない所では、NTTが携帯電話サービスを開始し、国鉄が民営化しJRになったなんて時代です。親日では「ワールドプロレスリング」の視聴率が下降して、ゴールデンを撤退しようか?という話も出ていた時代です。

新日本プロレスはこの年、人気回復のため海賊男を登場されるが、アントニオ猪木VSマサ斎藤の一戦で入場してきたマサ斎藤に手錠を掛けて連れ去りファンがブチ切れて暴動が起こったり、また、TPG(たけしプロレス軍団)が両国国技館に現れ、また暴動が起こったり空回りしていた時代です。

全日本では天龍革命が起こっていた

また、全日空プロレスでは、長州力が新日に復帰して、危機感を抱いた天龍源一郎が、それまでジャンボ鶴田と組んでいた、鶴龍コンビ(かくりゅうコンビ)を解消し、阿修羅原とタッグを組んで龍原砲(りゅうげんほう)を結成して、それまで盟友だった鶴田に牙を剥き、相撲の世界では格上の輪島をボコボコにした。

当時の新日本の日本人選手

藤波辰巳 長州力 越中詩郎 木村健悟 マサ斎藤 ジョージ高野 藤原喜明 木戸修 前田日明 高田延彦など

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前田日明顔面蹴撃事件が発生(1987年11月19日)

この年の11月19日に行われた、6人タッグマッチ(UWF軍VS維新軍)の試合で、前田日明は、木戸修にスコーピオンデスロックをかけた長州力に対して、カットに入った時、長州の顔面に危ない角度で蹴りを入れて、長州は大怪我を負った。これが、長州対前田顔面蹴撃事件(ちょうしゅうたいまえだがんめんしゅうげきじけん)です。

この事件がきっかけで、前田は新日を解雇された。その翌年の5月12日(飛龍革命が起こった翌月)第二次UWFの旗揚げ戦を行った。後に前田日明は、天龍の輪島に対する余りにも激しい攻撃を見て、危機感を感じて、長州に激しい攻撃を加えたと語っている。

<プロレス界の流れ>

天龍革命

前田顔面蹴撃事件

飛龍革命

飛龍革命の年の新日の状況は?

全日では天龍が革命を起こし、また死闘を繰り広げた前田日明も、新しい団体を立ち上げ、新生UWFの旗揚げ戦は、僅か15分でチケットは完売し、新しい時代を予感させていた。しかし、新日では、この年IWGPヘビー級のタイトルが新設され、初代王者にアントニオ猪木がついた。

また、「昭和の巌流島決戦」と題してアントニオ猪木とマサ斎藤が、ノーピープルマッチを行い、2時間戦い猪木が勝利したが、子供ながらに、なんでわざわざ、巌流島で試合をしなければいけないのか?また、何でマサ斎藤なのか?と疑問もった思い出があります。

この当時アントニオ猪木は、ブラジルで興した会社「アントンハイセル」の経営破綻、女優の倍賞美津子との離婚問題など様々な問題を抱えていたのです。

何とか現状を打開しようと色々手を打つのですがアントニオ猪木が絶対的なエースとして君臨している事が前提で組み立てられていた為、新日だけが、時代の流れに取り残された感じもします。

飛龍革命について藤波はどう語ったのか?

プロレスの師匠アントニオ猪木に初めて反旗を翻した藤波辰巳、どうしてあんな行動に出たのか、数十年を経た藤波辰爾が語った内容。

当時猪木は様々な問題を抱えていた、自分の活躍で何とか現状を打破したかったが、上手くいかないので、イライラしていた。猪木の負担を軽くしたい、自分の力で何とかしたいという気持ちから、突発的にやってしまった。

前田がUWFに行ったり、長州が全日に行ったりして自己主張をした、そんな姿を見て、自分にイライラ感があった。

(前髪を切った理由)

何故髪を切ったのか、全く分からない、とにかく何か、変えたくて、衝動的に救急箱にあったハサミが目に入って切ったとの事です。今ではネタにされてますが(笑)

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